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【レースな世界紀行2004】その13の2 [レースな世界紀行 2004]

当初の目論見どおり(ウソ)、日本GP前にすべてアップし終えることができました。これにてシリーズ終了です。長らくお付き合いのほど、ありがとうございました。レースの話はあまりしませんでしたが、レースはつづくよいつまでも。

その13の2
F1第17戦日本GP
日本・鈴鹿

主役もゲストも松阪牛を食べるのに一所懸命で、エンジン開発に関する貴重な意見を言おうとか、あるいは聞こうとか、そんな雰囲気はまったくなかった。あったとすれば唯一こんなやりとりである。

「来年、マーク・ウェバーの加入が決まっていますね。ジェンソン・バトンとは契約問題がこじれてどうなるかわからない状態ですが、もしバトンの獲得に失敗したら、他に誰がお望みですか?」

テーブルを囲んだゲストのひとりがこうたずねると、タイセンさんはかすかな笑みを浮かべてこう答えた。
「マイケル」
マイケルがミハエル・シューマッハを意味することぐらいは、いくら酒が入っていようが、脳に行くはずの血液が大挙して胃に向かっていようが、察しがついた。でも、そこは砕けた場である。冗談のひとつも飛ばしてみたくなるというものだ。

「マイケルって、ジャクソンのことですか?」
 こう質問すると、タイセンさんは笑みを浮かべてこう切り返すのだった。
「いや、ムーアだ」
         ☆
金曜日は朝から雨だった。それもかなり強い降りである。台風22号の接近にともなって、秋雨前線を刺激しているのが原因らしかった。佐藤琢磨効果で、日本グランプリの観戦チケットは、それこそ飛ぶような売れ行きだったと聞いた。期待に胸をふくらませて鈴鹿サーキットまでやって来たはいいが(それも平日に)、雨の中の観戦とあっては本当に気の毒である。しかも、あまりに雨が強すぎて走行を見合わせるチームが多く、なかには、1周も走行しないドライバーもいた。

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夕方になって、土曜日のプログラムが中止になることが決まった。F1始まって以来のイレギュラーな出来事である。台風が直撃する可能性が強まり、被害がおよぶことを恐れての措置だった。土曜日に予定されていた予選は、日曜日の午前中に持ち越されることになった。台風の接近を翌日に控えた金曜日でさえ、鈴鹿サーキットの路面コンディションはひどいものだった。傾斜がついているところはことごとく川になっていた。5歩も歩けば膝から下はずぶぬれ。予選の中止、サーキットの閉鎖は賢明な措置だったと思う。

というわけで、スケジュールにぽっかりと穴が開いた。穴が開いたのは原稿を書くジャーナリスト連中ばかりではなく、チームで働くクルーも同様である。僕が泊まっていたホテルには、パナソニック・トヨタ・レーシングのクルーも泊まっていたのだが、夕食を終え、深夜1時頃にホテルに戻ると、彼らは狭いロビーを占拠して酒盛りをしていた。楽しそうだった。

土曜日の朝。サーキットへ様子を見に行くのだろう、マクラーレンのチームウェアを着たクルーがテーブルを取り囲み、朝食をとっていた。隣でひとり朝食をとっていると、「タイフーン」という言葉が幾度となく耳に飛び込んできた。さらに様子を窺っていると、「台風の風にあおられて、機材がめちゃくちゃになったらどうしよう」と心配するよりも、アジアの島国で経験する未知の自然現象に好奇心満々といった様子であることがわかった。

そこへ、トヨタのPR氏が現れ、目の前に座った。座るなり「タイフーンは来るのか?」と質問をぶつけてくる。
テレビのニュースで見たばかりだけど、近づいているみたいだね」
「真っ直ぐこっちに来るのか?」
「いや、東にそれたみたいだ」
「風は吹くのか?」
「吹くだろうけど、心配することないと思うよ」
「雨は強くなるのか?」
「どうかなぁ。そこまでは分からないな」
「オレ、タイフーン経験するの初めてなんだよねぇ」

もう矢継ぎ早である。幸い、台風22号は鈴鹿サーキットのある三重県を直撃することなく、静岡方面へそれた。鈴鹿一帯の雨はむしろ金曜日の方がひどかったくらいで、夕方の4時過ぎには雨も上がり、雲の切れ間から薄日が差した。

その翌日のことである。タイフーンを初めて経験した(つもりでいた)外国人ジャーナリストが、日本人メディアをつかまえて「タイフーンを初めて経験したけど、たいしたことないじゃん」と言ったらしい。日本人メディアはパソコンを開いてニュースサイトに接続し、被害状況を伝える写真を見せてやると、浮かれた外国人ジャーナリストは凍り付いたようになって、こう言ったとか。

「鈴鹿に来なくて良かった……」

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僕たちが海外に行って、初めて見るもの、初めて経験することに新鮮さを覚えるように、外国からやって来る人たちにとっては、寿司や台風に日本的なものを感じ、感動を覚えるようである。そういえば、僕らにとっては当たり前のように慣れ親しんだ、ジャストサイズ(?)のビジネスホテルも、30平方メートル、40平方メートルに慣れた欧米人にとっては、感動の対象になるようである。スーツケースを広げる余裕もない狭さ加減が、理解の範囲を超えていたようで。(おしまい)

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【レースな世界紀行2004】その13の1 [レースな世界紀行 2004]

鈴鹿関連の原稿を書いていて、ふと思い出したのでアップします。でも読み返してみたら、鈴鹿の話じゃない(汗)。

その13の1
F1第17戦日本GP
日本・鈴鹿

「日本グランプリは地元レースだから、イベントごとや取材が多くて忙しい」と片方で言っておきながら、「和田金でごちそうします」と誘いを受ければ、そそくさと仕事を片づけて駆けつけるのだから、現金なものである。

秋雲がたなびく木曜日のことだった。BMWジャパン広報部から、「マリオ・タイセンを囲んで食事をしませんか?」との誘いを受けたので、間髪入れずに出席の返事をした。BMWモータースポーツ・ディレクターの肩書きを持つタイセンさんは、エンジンの開発におけるリーダーである。そんな彼から貴重な意見を拝聴できる魅力は確かにあったが、タイセン氏を囲むのが、松阪牛で有名な和田金だったから喜んで誘いに応じたのだろうと詰め寄られても、強固に否定することはできない。

仕事の忙しさはどこへやら、夕食会の時刻が近づくにつれ、腰が落ち着かなくなる。
「松阪に6時だろ? てことは、遅くても5時に出ないと間に合わない。そろそろ準備したほうがいいんじゃないか」
と、そわそわしだしたのが4時頃のことであった。同行の士が僕の他に3名いた。そのうちのひとりが名案を出す。
クルマで行くと渋滞にはまる。電車で行ったほうがいいんじゃないか」
「そうだ。白子から近鉄に乗れば1時間で行ける」
すかさず、ケータイのサイトで時刻表を調べたのは僕である。
「そんな、わざわざ電車で行くことないでしょ。クルマで行きましょうよ」
と、クルマにこだわる者がひとり。
「いや、国道は混雑して使い物にならない。電車だ」
「慌てていくことないでしょ」
「いや、間に合わない。それに、酒飲んだら帰りどうするんだ」

なんだかんだとやりとりしているうちに5時になった(仕事はどうした?)。近鉄・白子駅で540円也の切符を買い、電車に揺られて1時間とちょっと。大の大人が4人で松阪牛をごちそうになりに、松阪駅までやってきた。やってきたはいいが、駅からの道がわからない。わからないなら、道行く人に聞けばいいという寸法で、構内を歩く御婦人をつかまえて、「和田金はどこです?」と恥も外聞もなくたずねた。

とっぷりと日の暮れた松阪の街を、大の大人が4人、松阪肉食べたさに歩いて和田金へ。会食開始の時刻を15分も遅れて着いてみれば、タイセンさんはもちろん、BMWジャパンの関係者は誰ひとり到着しておらず、だだっ広い座敷に冷えた空気が漂っているのみ。主を待つ座布団がもの悲しい雰囲気を醸し出す。

座敷の片隅で15分ばかりかしこまっていると、BMWご一行様が到着した。床の間を背負ってタイセンさんが座る。
「タイセンは日本の肉が好きでしてね。昨年の鈴鹿で私は3日間しゃぶしゃぶ付き合わされまして。参りました」
と、広報部のIさんが言う。参ったとは、おいしくておいしくて参ったということだろうかと邪推。
「で、今回は松阪肉を食べてもらおうと。さ、どうぞ囲んでください」
言われるまでもなく、日本の肉ファンのタイセンさんをはじめ、3つの円卓に分かれた一同はみな、卓の中央を占める鍋に視線を向けていた。タイセンさんの挨拶。

「ええ、去年の鈴鹿は毎日しゃぶしゃぶでした。松阪牛の網焼きやすき焼きは初めてです。鈴鹿には5回、東京モーターショーには2回来ていますが、観光する機会はありませんでした。今度は妻を連れてゆっくりしたいですね」

そう語る普段着のタイセンさんは、あぐらをかいて座る右手にデジカメを置き、シャッターチャンスを逃すものか、と事の成り行きを注意深く見守っていた。仲居さんがやって来て、炭に火を入れる。すかさずタイセンさんはデジカメのスイッチを入れ、シャッターを押す。色とりどりの野菜が載った皿が来れば写真を撮り、肉が来れば肉の写真を撮り、仲居さんが鍋に野菜をくべればまた写真、肉をくべればさらに写真と慌ただしい。

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野菜をくべたり肉をくべたりする合間に、仲居さんは、「ウチの肉は自家農場で育てています。3000頭飼ってます」とか、「こちらにお出しするのはすべて雌牛の処女さんなんです」と自慢話をしたり、「牛の食欲増進のためにビールを飲ませるんですよ。体は焼酎で洗うんです」とうんちくを語ったりし、同席した通訳がドイツ語に翻訳してタイセンさんの耳に入れるが、主役はただただ無心に肉を頬張っては「ファンタスティック」を連発するのみであった。

半人前(65グラム)の網焼きと半人前のすき焼き(合わせて1人前)、それに数々の野菜を平らげたタイセンさんであったが、お腹が満足しなかったとみえて、すき焼きを半人前追加した。同じテーブルを囲んでいた僕らもご相伴にあずかることになり、得をした。食べ終わったタイセンしは、ぷっくりふくらんだお腹を見せて、「妊婦です」とジョークを言った。(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その12の2 [レースな世界紀行 2004]

お盆休みムードがまん延しているので仕事がはかどりません(と、お盆休みムードのせいにする)。

その12の2
F1第16戦中国GP
中国・上海

お金の話が出たついでに物価の話をしておけば、上海の経済はまるっきりの二重構造である。街には地元の人たちの物価と、外国人観光客のための物価がある。1泊7840円で安いと感じるのは日本人の感覚であって、平均月収が数万円の上海人にしてみれば、目ん玉が飛び出るほどに高額だ。

上海滞在中に、独自に調査を行ったところ、タクシーの運転手の月収が1万5000円から2万円。英語日本語を自在に操る大卒エリートの初任給が4万円である。タクシーの運転手に案内してもらった料理屋に入り、2人でごはんを食べれば、ビール2杯、老酒ボトル1本、チャーハン、スープ入り蒸し餅(ショオロンポオ)、青菜炒め、ピーマンと牛肉の細切り炒め(チンジャオロースー)などを頼んで全部で1000円ちょっとである。これでも中国人の感覚からすれば贅沢な部類に入るのだろうが、まかり間違って五つ星ホテルのロビーでビールでも一杯飲もうものなら、700円から800円は取られる。どこで何を買ったり食べたりするかは、良く考えたほうがいい。

当然のことながら、街には中国語があふれていた。もっともこれは予想の範囲内なので驚くに値しないけれど、意外に日本語を多く目にすることに驚いた。泊まったのは、上海の中心地からだいぶ離れたところにあるというのに、ちょっとタクシーで走り回ればかなりの頻度で日本食レストランを見つけることができる。マッサージも見つけたが、「マサヅ」と書いてあったので、サービスの内容を理解するのにちょっと時間がかかった。

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ホテルの客室にも日本語があふれている。ドアの裏側には「火災についての注意」が日本語で書かれている。デスクの上にはホテルの案内が置いてある。「お客様各位」で始まるのが冒頭の挨拶としては一般的だろうが、僕が泊まったホテルでは「親愛なるお客様」となっていて、ちょっとこそばゆい気もした。ベッド横の小さな丸テーブルには「お口の臭いを元から消す」フレッシュ・キャンディが2箱置いてあって、それぞれ10元の値段がついている。「タバコ、お酒、ニンニクの後に」という文句には素直にうなずくことができたが、それに「ニラ」が加えてあるのはどうしたものか。そんなに頻繁に食べないでしょう。

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例によって僕はF1グランプリ取材のために上海を訪れたわけで、観光目的で上海を訪れたわけではない。そこが楽しいところでもあり、悲しいことでもあるのだが、いつものようにホテルとサーキットの往復で5日間の滞在を終えた。

だから、昔からの風情が残る豫園にも行ってないし、疎開時代の面影が残るバンドにも行ってなければ、アジア一高いテレビ塔も、88階建てのホテルも見ていない。東京で言えば大泉から外環を通り、三郷から葛西を抜けて東関道を通って成田に行ったようなもので、レインボーブリッジに相当するようなルートを通っていないから、中心地を見ることもなく上海を後にした。恨み節になってしまうので、ここらでやめにしておこう。

さて、どういうわけか日本人はレンタカーが借りられないとかで(借りられなくて良かったという説もある)、ホテルとサーキットとの間の移動はタクシーをチャーターして行った。これがまたひと苦労であった。なぜかと言えば、中国人のドライバーは中国語しか話せないし、我々は中国語を話せないからである。意志の疎通が難しいのだ。

これには会話集が役に立った。木、金、土、日と4日間お世話になった運転手は承さんといった。メモ帳と一緒に会話集を差し出して「あなたのお名前は?」に該当する中国語の文を指さす。すると、承さんはペンをとり「承先生」と書く。自分を先生とは何を偉そうに、と思うなかれ。先生は○○さんの「さん」の意味である。自分の名前に「さん」をつけるのもおかしいか。

朝、ホテルからサーキットに送ってくれた承先生は、夜、僕らが仕事を終えるまでサーキットの駐車場で待っていてくれた(あるいは、市街に戻ってひと仕事していたのかもしれない)。何時に戻ってくるかも分からない僕らをただあてもなく待つのはつらいだろうと思い、朝、別れ際にメモ帳を取り出し、「下午5時」と書いて示した。承先生は「オーケー」と言った。

5時と書いたものの、僕らの仕事は水ものである。これまでの長い経験に照らし合わせてみても、予定どおりの時間に仕事が終わった試しがない。5時と約束したのに、客がなかなか戻って来ないのではさぞ心細いだろうと思い、念のため電話番号を聞いておくことにした。会話集の電話番号に該当する中国語を示し、「これ、これ」と日本語で話しかけると、承先生は差し出されたノートにすらすらと携帯電話の番号を書き記す。

案の定、5時の約束が6時になった。待ち合わせに指定した場所に行って見ると、承先生の姿が見あたらない。ほら、電話番号聞いておいて良かったでしょ、と、調子に乗って番号を押したが「ウェイ?」という承先生の声を聞いた途端、体が硬直した。どうやって会話するんだ一体。

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【レースな世界紀行2004】その12の1 [レースな世界紀行 2004]

またしてもほぼ1ヵ月ぶりのアップです。今回は初開催の中国GPを取り上げます。現在は春の開催ですが、この頃は秋に開催していたのですね(って、そんなことすら忘れている)。

その12の1
F1第16戦中国GP
中国・上海

「遠くて近い国」とはよく言ったものである。成田を飛び立った飛行機は、わずか2時間40分で上海に着いた。飛んでいる時間だけなら、新幹線で東京から大阪まで行くのと変わらない。

上海に降り立ったとはいっても、東シナ海に面する浦東国際空港は、東京の中心地に対する成田空港の位置関係のようなもので、要するに、中心地から遠い。しかも、泊まることになっているホテルは、東京で言えば銀座や新宿のような繁華街ではなくて、和光や三鷹のような郊外に当たっているから、なおさら遠い。鉄道で行けないこともないが、荷物は多いし、4名がともに行動していたこともあって、空港ではワゴンタクシーを拾った。

20年は使い込んだうえに崖の上から3回くらい転げ落ちたような風情(?)を醸し出すワンボックスカーが、どうやらワゴンタクシーらしかった。運転手は白いシャツにグレーのズボンといった普段着姿であるが、車内にはメーターらしきものがついていたので、白タクではかったと思う。

片側4車線の広い高速道路はずっと真っ直ぐである。高架になった軌道が道路と平行して進んでいる。首都高1号線を思わせる風景だが、この線路を走るのはモノレールではなくて時速430キロで走るリニアモーターカーだ。40年の技術の進歩がここにある。タクシーに揺られていると、突如、グワァンと轟音が近づいては瞬時に遠ざかっていった。轟音を敏感に察知して首を巡らせないと、リニアモーターカーの姿を拝むことはできない。ホント、あっという間に通り過ぎてしまう。視線を高架軌道から高速道路に戻せば、低速車線を黒煙をモクモクと吐き出す大型トラックが目に入る。最先端と時代遅れのコントラストがあった。

連れの3人はすべてスモーカーであった。うちひとりが道中我慢しきれずにたばこを取り出し、運転手に「灰皿は?」と聞いた。もちろん、中国語は話せないので、身振り手振りである。運転手は意図を解したと見えて、後ろを振り返り、車内の左右を指さしてなんだかんだとわめいている。言われたスモーカーはドアの内側に灰皿がついているものと理解して指さされたあたりを見回すが、それらしきものは見あたらない。さらに身振り手振りを加えて「灰皿だ。灰皿だ」と訴えたところが、運転手は車内の左右をしきりに指さす。

そんなことを繰り返してようやく合点がいったのだが、運転手は“車内の左右”を指さしていたのではなく、“車外の左右”を指さしていたのだった。要するに、「灰でもたばこでも外に捨てろ」ということだったらしい。

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タクシーが上海の中心地に近づくにつれ、道路が混雑してきた。混雑するにつれ、この国の交通マナーというものがわかってきた。この国の人たちは、譲り合いの精神というものを持ち合わせていないらしい。だから、道路が合流するような地点では大変なことになる。本線を走っているドライバーは、合流しようとするクルマを自分のクルマの前に入れようとしないし、合流するドライバーは何が何でも鼻先を突っ込もうとする。

だから、クラクションの嵐である。救急車がサイレンを鳴らして迫ってこようがおかまいなしである。パトカーとて同じだ。「譲ってたまるか」という気迫が道路上に満ちあふれている。

高速道路でさえこんな状態だから、一般道に降りるともっとひどい。歩行者もいれば自転車に乗る人もいるし、バイクもいる。もう、ひっちゃかめっちゃかである。中国は右側通行だから、対向車線をまたいで曲がるのは左折になる。幅の広い道路では左折レーンがあって、我々の感覚では対向車が来なかったり、あるいは左折信号が出たときなどに発進して目的の方向に進むものだが、中国ではそうではない。鼻先を対向車線にはみ出させて、直進車の行く手をふさぐのである。助手席に乗っているときなど、生きた心地がしない。そうしてクルマの向きを90度変えた際、横断歩道を対向車や自転車が横切っていたとしても、躊躇することなく突っ込んでいく。歩行者よりもクルマの方が立場は上なのである。日本だったら「危ねーな、このヤロー」などと怒号が飛ぶような状況でも、歩行者や自転車は平然とクルマをやりすごしている。

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クルマ対クルマでも同じである。クラクションが鳴り響くような緊張感漂う状況に陥っても、一旦状況が落ち着くと、何事もなかったように交通の流れは平静を取り戻す。日本だと、割り込んだクルマを後ろのクルマが煽ったりするが、中国ではそんなことはない。そんなところが、健全と言えば健全である。

60kmほどの道のりを2時間かけてホテルに到着。さっきも書いたように、上海の中心地から離れた和光やら三鷹やらに属するような郊外のホテルである。三つ星ホテルだが、門構えはちょっとやつれたホテル・オークラのように立派である。客室も国際標準レベルにある。つまり、日本のビジネスホテルのように気分が滅入るほどには狭くないということで、なかなかに快適だ。デスクにLAN回線が引いてあるのには感心した。

これで1泊770元(1元14円として1万780円)なら、不満もあろうはずはないが、グランプリ期間などのハイシーズンを外せば、560元(7840円)で泊まれると聞けば、「仕事抜きで来ちゃおうかな」と思いたくもなる。なにしろ、2時間40分なのだから。(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その11 [レースな世界紀行 2004]

気がついたら1ヵ月半ぶりのアップです。このままフェードアウトしてもよかったのですが、残りあと少しなので最後まで行かないと落ち着かない(性分)。8年前を振り返ってみて思いましたが、ハンガリーはまだユーロに移行していませんね。それに、あのドライバーのキャラクターも変わっていない……。

その11
F1第13戦ハンガリーGP
ハンガリー・ブダペスト

出発前に宿泊するホテルのホームページを見たら、宿泊料やら市内へ向かうバスの料金やらがユーロで書かれていた。あれ? ハンガリーはもうユーロに切り替わったんだっけ? と30%くらいは不審に思いつつも70%は疑いもせず、乗り継ぎのフランクフルトで2万円をユーロ(1ユーロ146.98円)に交換し、ブダペストに降り立ってみれば、市内へ向かう乗り合いバスの料金はもちろん、売店で売っているピーチ味の紅茶だのドレハーという地元のビールだの、ことごとくすべてがフォリント表示であった。

フォリントとはすなわちハンガリーの通貨である。仕方がないので、せっかく両替をしたユーロのうち、50ユーロをフォリントに交換した。1ユーロは240フォリントだった。円〜ユーロ〜フォリントで両替した場合の100円はおよそ、61フォリントということになる。

ハンガリーがユーロに切り替わっていてもおかしくないと70%くらい信じ込んでしまったのにはワケがあって、この国は訪れるごとに何もかもが西側っぽくなってくのを、初めて訪れてからわずか7年ではあるけれど、感じ取っていたからである。調べてみたところEU加盟は2004年5月1日に行われたばかり。だが、ユーロへの通過切り替えは当分行われず、今後もフォリントを使い続けるのだという(2007年頃に切り替わるらしい)。国民の所得水準はいざ知らず、物価だけで言えば、いつEUの仲間入りをしてもおかしくないほどの高水準だった。

1年に一度訪れるかどうかの観光客にとっては、ありがたくない話だ。かつての東欧諸国の面影を感じさせる石張りの建物は相変わらず街を埋め尽くしているし、ドナウ川越しに眺めるブダ王宮の夜景も以前と変わらず美しい。が、どことなく街全体があか抜けて、明るいのである。

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もっと薄暗く、うち沈んでいてこそハンガリーであり、ブダペストだよなぁと思う。優雅な装飾のある建造物に割って入り込むように、フランクフルトの新市街にこそ似合いそうなガラスと金属のオフィスビルやショッピングモールが建っている。高速道路に乗って郊外に足を伸ばせば、24時間営業のショッピングモール。アメリカ資本の巨大ハンバーガーチェーンもそこかしこでお目に掛かった。

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まったくもってかつての東欧諸国らしくない風景だが、これが現在のハンガリーなのである。東側名物のひとつであるトラバントに出会うことができたのは幸運だったが、これも早晩消えゆく運命だろう。ぴっかぴかの最新モデルが我が物顔で街を走り回っている。

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前年はヨーロッパを猛暑が襲い、イタリアやフランスでは暑さのせいでお年寄りが1万人単位で亡くなったというニュースが世間を騒がせた。当たり前だが、地理的にはいまだにヨーロッパの東側に位置するハンガリーも例外ではなく、猛暑に襲われた。

そんな状況ではあるのに、前年はサーキットに近いことを最優先して、エアコンを装備していないホテルに泊まったのだが、これが災いした。暑いなんてもんじゃない。あてがわれた部屋が暑さに輪を掛けた。屋根裏部屋だったからである。こぢんまりしたホテルの4階にあるのだが、エレベーターがないので、階段をよいこらよいこら上ってドアを開けると、日中の日差しでたんまりと暑くなった空気が出迎えてくれるという寸法である。これはこたえた。

というわけで、今年はエアコンを優先。サーキットからのアクセスには目をつぶり、ブダペスト郊外にあるエアコン完備のホテルを予約した次第。ところが、えてしてそういうもので、朝晩は長袖が欲しくなるくらい、この年はいい気候に恵まれた。あぁ。

郊外に宿を取ったツケは自由時間にも回ってきて、いつもなら夕食の前や後にドナウ川岸を散歩して露天などを冷やかして歩くのだが、一切そんなヒマはなし。グラーシュスープやパプリカチキンとも無縁の夜を過ごした。

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ならば、レースに集中するしかないか。前回のF1取材は6月のこと。インディアナポリスで行われた第9戦US GPを訪れたのだが、あれから2カ月。4戦ぶりにF1サーキットを訪れてみると、第13戦ハンガリーGPで、またもや佐藤琢磨選手が予選3番手に食い込むガンバリを見せつけてくれたのだった。前回もフェラーリのミハエル・シューマッハ、ルーベンス・バリチェロに次ぐ3番手なら、今回もフェラーリの2台に次ぐ3番手である。

シーズン前半戦で数々の追い越しシーンを見せていたためか、ヨーロッパのジャーナリストにも佐藤選手の果敢な攻めの姿勢が十分に浸透したと見えて、予選終了後の記者会見では佐藤選手にこんな質問が飛んだ。

質問 あなたは今シーズンこれまでいくつか興味深い追い越しシーンを見せていますが、このサーキットは追い越しに向かないサーキットだと思いますか? と。

確かに、全長4.381kmのハンガロリンクは市街地コースのモナコに次ぐ低速サーキットとして知られる。ストレートは短く、タイトなコーナーは数多く、路面はいつも砂ぼこりで汚れている。

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佐藤 難しいですね。確かに、一昨年まではほとんど追い越しができないサーキットでした。でも、去年から変わったと聞いています。僕は去年出場していないのではっきりしたことは言えないのですが、確か去年のレースではいくつか追い越しがあったと思います。だから、追い越しは可能でしょう。でも、このサーキットは風が強く、路面が汚れているので、レーシングラインを外すと滑りやすいのが特徴です。追い越しを仕掛けるには大きなリスクを覚悟しなければなりません。

質問 でも、あなたにはリスクを冒す覚悟がある。
佐藤 ええ、この世に不可能なことはありません。いいファイトを期待していいと思います。

「いや、追い越しなんて、そんな。予選で3番手になれただけでハッピーです」と優等生的な発言でお茶を濁すことも可能だったろう。それが、どうだ。佐藤選手は周囲の期待どおりの回答を臆することなくプレゼントしてくれる。たとえそれがリップサービスであろうと、聞いているこっちは気持ちが良くなるというものだ。

スタート直後に先行を許したアロンソをかわそうと、1コーナーでアウト側のラインを選んだ佐藤選手だったが、これが裏目に出た。タイヤが路面の汚れを拾ってスピードが鈍り、前を追いかけるどころか、後続に次々と先行を許すことになったのである。結果、最初の1周で5つポジションを落とし8番手にまで後退。レース中盤以降はエンジンの油圧低下に不安を抱えながらの走行を強いられたが、6位まで挽回してレースを終えた。自身の言葉どおり、ガンガン攻めてました。

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【レースな世界紀行2004】その10の3 [レースな世界紀行 2004]

うーん、インディ500ぅぅぅ。

その10の3
F1第8戦カナダGP〜第9戦US GP
カナダ・モントリオール〜アメリカ・シカゴ〜ロサンゼルス〜インディアナポリス

カナダGPの翌週にインディアナポリスでF1が開催されるので、日本には帰らず、そのままアメリカに移動した。今回の旅では、アメリカはマーチャンダイズの国だ、ということがよく分かった。ロサンゼルスの南郊、コスタ・メサに本拠を構えるTRD USAの副社長、デイビッド・ウィルソンさんはこう説明した。

「アメリカでのライセンスビジネスは巨大です。もし、あなたが誰かのファンだとすれば、あなたはサーキットに行った際、必ずお目当てのドライバーのグッズを買うでしょう。NASCARで最も人気のあるドライバーは、年間7000万ドルをマーチャンダイズで稼ぎます。言うまでもなく、ドライバー契約料を上回る金額です。NASCARに行けばわかりますが、Tシャツやキャップを売るトレーラーに人だかりができています。おそらく、サーキットを訪れる95%以上のファンが関連グッズを身につけています」

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というような話を聞いてからインディアナポリスを訪れたわけだが、笑っちゃうくらいウィルソンさんの言うとおりであった。NASCARだろうとIRLだろうとF1だろうと、レースを見に来る人たちの趣向は共通するらしい。インディアナポリス・モーター・スピードウェイを歩く人、みんながみんな上から下までマーチャンダイズで身を固めていた(ちょっと大げさですが)。

それだけじゃあない。ホテルでは、エレベーターに乗ろうとロビーにいようとレストランにいようと、そこにいるのはみーんなF1を見に来た人たちである。なんでそんなことがわかるかというと、その人たちは、カップルであろうと若者のグループであろうと家族連れであろうと、みーんな全身マーチャンダイズで身を固めているからだ。お母さんと子供は全身フェラーリ、お父さんは全身ウィリアムズ。「インディアナポリス2004」のロゴが入ったキャップとTシャツでコーディネートしたカップル。全身ウィリアムズで決めたビール樽体型のお父さんはベビーカーを押してお出かけ、といった具合。GAPのポロシャツを着ている僕など、肩身が狭くて仕方なかった(再びちょっと大げさ)。


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アメリカ人のマーチャンダイズ好きな傾向はよく分かったが、彼らは一体、サーキットで買ったキャップやらTシャツやらを、サーキット以外の場所でも身につけるのだろうか。年に1回のイベントを訪れた記念に現地で買い求め、買ったそばから身につけてオシマイなのだろうか。それとも、しばらくは週末のウェアとして活躍するのだろうか。疑問が湧いてきた。

おっといけない、モントリオール、インディアナポリスと2回もF1を観戦しておいて、肝心のレースの話をしていないではないか。要点だけかいつまんでお知らせすると、この2回のグランプリで最も印象に残ったのは佐藤琢磨選手であった。

インディアナポリス・モーター・スピードウェイで行われた第9戦US GPで、佐藤選手は日本人F1ドライバーとしては実に14年ぶりに表彰台に上がる快挙(3位)を成し遂げたのだが、僕が印象に残ったのはそのことではない。いや、もちろん、一時は9番手にまでポジションを落としながら、コース上で前を走るマシンを次々に追い抜き、最終的に3位の座を手に入れた過程は手に汗握るものがあった。表彰台に日の丸が揚がるシーンに無感動でいられようはずがない。

だが、瞬間的な感動の大きさで言えば、その前日、土曜日の予選で見せた佐藤選手の走りに対する観客の反応、これを肌で受け止めたときの感動に軍配が上がる。

土曜日の予選を、僕は観客と一緒に見ていた。バンクと、その外側に立ちはだかる観客席にこだまするエグゾーストノート。これをダイレクトに鼓膜で受け止めながら、目の前にある大型スクリーンでドライバーの走りを見守り、場内のスピーカーから流れる実況に耳を傾けていた。

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実況は英語と現地語のバイリンガルである。英語の方はどこのサーキットに行ってもボブ・コンスタンデュロスというイギリス人ジャーナリストが担当する。日本人の仲間内では“ボブコン”の愛称で呼ばれているが、彼はFIA主催のプレスコンファレンスで司会を務めているし、レース前に行われるドライバーズパレードでも長年実況を務めている。こうした活動から、司会=ボブコンというイメージが定着したのか、チームが催す新車発表会にも引っ張りだこだ。この年のトヨタの新車発表会で司会を受け持ったのも、ボブコンであった。

そのボブコンが淀みない口調で目の前で展開される現象を説明する。
「昨年のこのレースでポールポジションを獲ったキミ・ライコネンがコントロールラインを通過。スピードトラップで時速336.6キロを記録しました。この調子でいくとセクターワンの記録も期待できそうです」

みたいな感じだ。話の区切りがつくと、現地語の実況に切り替わる。フランスではフランス語、イタリアではイタリア語である。フランス語やイタリア語は理解できないので何と言っているのかわからなかったが、おそらく英語で実況している内容の繰り返しだろう。英語を理解する観客より、現地語を理解する人間の方が多いはずで、彼ら彼女らにとっては、現地語こそが目の前の状況を理解するための命綱だ。

英語を母国語とするアメリカなのだから、英語と現地語の掛け合いは必要ないんじゃないか、という思いで最初は実況に耳を傾けていたのだが、耳を傾けているうちに「これは絶対に必要だ」と考えを改めた。なんとも、独特の味があるからだ。

英語と英語の掛け合いでなく、イギリス英語とアメリカ英語の掛け合いなのだ。ボブコンはシャキシャキパキパキと角の立った英語でまくし立てるように実況する。一区切りついたところで、現地の実況に切り替わるのだが、これがレロレロまったりとした典型的なアメリカ英語なのだ。両者が伝えている内容は大同小異なのだが、ボブコンの実況を聞いていると、「あ、なんだかヨーロッパでF1見ているみたい」という気になる一方で、現地の実況者の言葉を聞いていると「ああ、ここはアメリカだねぇ」というまた別の感慨がこみ上げてくる。パキパキ、レロレロの対照が面白い。

後で聞けば、現地実況を担当していたのは、インディ500の実況でもおなじみの名物コメンテーターだそう。マシンガンのように矢継ぎ早に言葉が飛び出すボブコンの実況に乱されることなく、独自のまったりともったい付けるような調子を守り通していた。

スタンドが割れんばかりの歓声に包まれたのは、フェラーリのミハエル・シューマッハが、それまでのトップタイムに大きく差をつけて暫定トップの座に立った瞬間だった。フェラーリはどこのサーキットでも絶大な人気を集めており、こうした観客の反応は僕にとっては予想の範囲内だった。確かに、それまでのトップタイムを0.8秒近く上回るタイムを記録したのは驚きだったが、「ああ、やっぱりな」と感じたのもまた事実である。

でも、佐藤選手の走りに対する観客の反応は、まったくの予想外だった。
「タクマがセクター2を通過しました。なんと、シューマッハを1000分の86秒上回っています!」
とボブコンが絶叫すると、まるで地鳴りのような歓声が沸き上がった。続いて、現地コメンテーターが、「日本人ドライバーのタクマ・サトーがチャンピオンより速く走っている」と、まったりとした口調で追いかける。

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「シューマッハより速いなんて信じられるか、オイ」という反応だったのだと思う。大型スクリーンは、コーナーを果敢に攻める佐藤選手の姿を映し出していた。最終のセクター3で少しタイムを失った佐藤選手は、結局シューマッハの記録したラップタイムを上回ることができなかった。

「残念。タクマは惜しくもシューマッハのタイムを上回ることができませんでした」
ボブコンがいかにも悔しそうに実況をすると、観客席は大きな溜め息に包まれた。みんなでいっせいに万馬券を取り損ねたかのような落胆ぶりだった。

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【レースな世界紀行2004】その10の2 [レースな世界紀行 2004]

そろそろ先が見えてきました。もう間もなくの辛抱(?)です。

その10の2
F1第8戦カナダGP〜第9戦US GP
カナダ・モントリオール〜アメリカ・シカゴ〜ロサンゼルス〜インディアナポリス

「飛行機あそこよ」
彼女が指さした先を見ると、150メートルほど先に小型のジェット旅客機が止まってお尻を向けている。雨に濡れながらタラップに飛びつかんとしている客も何人か見えた。ダッシュしたが、急いだところでどうにかなる雨の量じゃない。席に着いた頃には全身ずぶ濡れである。満員の乗客も同様だ。が、不平を言う者はいない。

予定より13時間遅れてモントリオールに降り立ったはいいが、荷物は届かなかった。いわゆるロストバゲッジというヤツである。とりあえず、GAPで2日分の着替えを買い、スーパーマーケット歯ブラシペースト、カミソリとシェービングジェルを買ってホテルにチェックインした。
「来ないから心配したよ」と言われて初めて、ホテルに連絡をしていなかったことに気づいた。

荷物は2日後の朝に届いた。その間、何度も航空会社に問い合わせをしたが、応答はなし。いや、正確に言えば、応答はあるにはあるのだが、アンサリングマシーン、つまり、テープに録音された声が流れるのみである。
「ただいま混雑しております。しばらくそのままお待ちください」

というようなことを繰り返し言っているのだが、そのまま待っていたところで一向にらちが開かない。腹が立つとはこのことである。荷物が届くかどうかも分からないので、3日分の着替えを追加で買ったが、買ったその翌日に荷物が届いたので、追加で買った分は無駄になった。スーツケースに空きスペースがないので、買った着替えを詰め込むだけのためにプーマでバッグを買った。

数日後、ロサンゼルスからインディアナポリスへ向かう際にシカゴを経由したときも、シカゴ〜インディアナポリスの便が3時間遅れた。さらに数日後、シカゴから成田に飛ぶ便も2時間の遅れ。遅れっぱなしの旅であった。

インディアナポリスに来ていたロジャー安川選手にいきさつを説明すると、
「アメリカはそうなんですよ」
と語り、ニヤリと笑う。アメリカ生活が長いゆえ、相当思い当たる節がありそうである。
「バーバー・ダッジに出ていた頃の話なんですが、飛行機が遅れに遅れて結局キャンセルになり、レース当日の朝に現地入り。しかもそこは初めて走るサーキットだったので、まさにぶっつけ本番でレースしたことがあります」

アメリカに長く住んでいる人でもそういうことがあるのか、と感心しきりで、レースの結果がどうだったのか聞くのを忘れてしまった。やっぱり、ぶっつけ本番じゃ、ツライだろうな。

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そんなこんなを抜きにして、ひとたびカナダやらアメリカに上陸してしまえばこっちのもんである。とくに、モントリオールはF1観戦の環境としては最高だ。ニュルブルクリンクしかり、マニクールしかりで、サーキットはその特性からして人里離れた山間部にあることが多い。人里離れていようと山の中だろうと、それはそれで楽しみ方もあるのだが、市街地の近くにあれば楽しさは倍増する。カナダGPの舞台、モントリオールはまさにそういう環境にある。

どういう環境にあるのかと言えば、銀座からお台場に通うような感覚でサーキットに行けるのである。ジル・ビルヌーブ・サーキットはセントローレンス川の中州に設けられた公園にあるのだが、川と言っても神田川や目黒川のように小規模なものではなくて、大陸のそれらしく見事な川幅を誇っている。だから、ホント、お台場のようなのだ。人工海浜もあるし。

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スタンド裏に行ってみると、売店やら仮設トイレやらが並んでいるが、その裏手に回ると砂浜がある。ご丁寧に、監視員が座る背の高い椅子まである。日焼け止めクリームに特有のあまーい香りが漂っている。

もちろん、あまーい香りが漂っているだけではなくて、実際に(水着を着けた)裸の男女が砂浜に横たわっているのである。それも、相当の数がいる。ほんの数十メートル離れたところで、F1マシンが轟音を発しながら走り回っているまさにそのときに。

「F1見に来たんだからF1だけじっくり見ていればいいんだ」という発想ををするのが日本人なら、「砂浜があるんだから甲羅干しでもしようよ」という発想をするのがカナダ人なのだろうか。

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額に手をかざして遠方を見やれば、摩天楼がそびえている。これが、河口に立ち並ぶモントリオールの街並みである。お台場の海浜から芝浦やら浜松町やらを眺めたときの感じとよく似ている。銀座やら芝浦やら築地に泊まってお台場へF1を見に行く、なんて夢のような話だが、モントリオールのF1は実際そんな感じだ。

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F1開催期間中、街が浮かれたようにはしゃいでいるのもモントリオールの特徴だ。深夜、街の中心部に設けられた特設ステージでバンドが生演奏をし、通りはただなんとなく集まってきたクルマでごった返し、歩道という歩道は人で埋まっている。歩いているだけでいい気分になる。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その10の1 [レースな世界紀行 2004]

振り返ってみたらば、ドタバタ中の写真は1点もありませんでした。そんな余裕はなかったのでしょうね。何も写真がないと寂しいので、それっぽいのを載せておきます(一応、アメリカの空港)。

その10の1
F1第8戦カナダGP〜第9戦US GP
カナダ・モントリオール〜アメリカ・シカゴ〜ロサンゼルス〜インディアナポリス

一度でもアメリカを訪れたことのある人なら、入国審査の長い列に辟易した経験をお持ちだろう。10時間以上の長いフライトの末にようやくアメリカの大地を踏んだと思ったら、目の前に長い列が待ちかまえている。時差が13時間から17時間はあるから、アメリカは日本を出発した日と同じ日付で、しかもまだ昼である。

頭など働いていようはずはない。なのに、いかめしいユニフォームに身を包んだアメリカ人から「どこに泊まるんだ」「何しに来たんだ」「いつ帰るんだ」と矢継ぎ早に質問されてはたまらない。

まあ、それはいい。半ば覚悟のうえだ。覚悟ができていないのは、乗り継ぎ便が遅れに遅れたと思ったら、ついにはキャンセルになり、空港の出発ロビーでひと晩を明かさねばならなくなることである。それは今回僕が経験したようなことで、まったくイヤになる。

ユナイテッド航空882便で成田を16時35分に飛び立った僕は、同日14時にシカゴに着いた。シカゴからはユナイテッドの5784便でモントリオールに向かう手はずになっていた。17時55分のフライトだから4時間ほども余裕がある。しからばラウンジでひと休み、となるのは当然のなりゆきだ。

異常事態が発生したのはそれからである。各フライトの出発時間を示すモニターを確認したところ、ほとんどのフライトには「ON TIME」の表示があるのに、UA5784の項には「DELAY」の文字と変更後のフライト時間が表示されていた。
「まいったな、1時間遅れか」と余裕綽々だったのは最初のうちで、2時間遅れ、3時間遅れとなるうちに焦りだした。

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ようやく機上の人となったのは日付も変わらんとする頃だったと記憶するが、疲労と時差ボケで席に着くなり眠りに落ちようよしていた僕の目を覚ましたのは、機内のアナウンスとそれにともなう乗客のざわめきであった。

半睡半醒の頭で状況を整理したところ、UA5784便は結局のところキャンセルになったらしい。で、機長は乗客にどういう指示を出したのかと言えば、別のターミナルから出発しようとしているモントリオール行きに乗ってくれと言ったのである。

早歩きで移動したが、ゲートにはすでに長蛇の列ができていた。そのうち、先頭の何人かがモントリオール行きの飛行機に吸い込まれ、後ろの何人か(といっても20人はいたように思う)はモントリオールに行くアテを失った。「一体どーなってんだよー、責任者出てこーい!」と、怒鳴ったり喚いたりするような輩はアメリカ人やカナダ人にはいないようだった。

慣れているのだろうか。ぞろぞろとゲートを立ち去り、重い足取りでもってサービスデスクへと向かうのだった。サービスデスクでホテルのバウチャーと20ドル分のミールバウチャー、それからこれが肝心なのだが、翌朝一番のモントリオール便に乗れることを保証するフライト・マネージメントなんたらという紙切れをもらった。

外に出てタクシーを拾ったが、バウチャーに書いてある「プラザホテル」がどこにあるのかわからない、と運転手が言う。「どこのプラザホテルだ?」と聞かれたところで、当方にわかるはずもない。運転手は手元の地図を手繰って調べてくれたが、結局は見つからずじまいだった。

諦めてタクシーを降りたが、ホテル行きを諦めきれずにもう1台拾って「プラザホテルへ」と告げてみたが、結果は同じだった。そうこうしているうちに午前1時を過ぎた。朝一番の飛行機は7時に飛び立つ(予定である)。ホテルへ行って、チェックインをして、寝て、起きて、チェックアウトをして、空港に来て、といろいろと考えてみたら、そう時間はない。というわけで、チェックインカウンター前にある3人掛けのベンチに腰掛けてウトウトすることにした。

5時にセキュリティが開いたのでターミナルに移動。マックの朝メニューを食べた。食べて気がついたのだが、前日の昼からまともな食事をしていないことに気づいた。
6時半にゲートに向かってくだんのフライト・マネージメントなんたらを差し出し、
「はい、これ。ボーディングパスをください」
と告げた。カウンターの内側にいる職員は、キーボードをパチパチと叩き、
「あ、あなたスタンバイですね。空席が確認できたら呼びますから、そこで待っていてください」
と、こうである。こうして、またあふれて、乗り遅れて、結局シカゴにもうひと晩、とイヤな予感にとらわれた。

「どうしても乗りたい」という必死の思いが通じたのか、ボーディングが始まってしばらくすると、職員がボーディングパスを渡してくれた。喜び勇んでゲートを通過。階段を下りていざ飛行機に乗り込まん、としたところがあるはずの飛行機が目の前にない。ザーザーと雨が降っているばかりである。

呆然と外を眺めつつ2秒ばかり立ちすくんでいると、空港職員が近づいてきて、僕の顔を覗き込む。
「あんた、モントリオール行くの?」
「はい」
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その9の3 [レースな世界紀行 2004]

本当はケルシュやヴァイツェンのほうが好きなんですけど(と、強がり)。

その9の3
F1第7戦ヨーロッパGP
ドイツ・デュッセルドルフ〜ケルン〜シャルケンメーレン〜ビットブルク

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素直にビットブルガー行きを諦めたのかといえば、そうではなかった。サーキット行って酒好きの同好の士に「ビットブルガーに行こうと思うんですけど、かくかくしかじかで」と誘い水を向けると、同好の士は同好の士で、泊まっている宿の人に頼んで“開いているかどうか”について独自に調査をしてくれた。それが月曜日の朝のことである。

結果、どうも芳しくないことが判明した。電話をすれどもすれども、応答メッセージが流れるばかりだというのだ。
「ということはつまり、今日はやっぱり休みだってことですかね」
「そうだな。でも、宿の人が言うには、掛けている電話番号が代表番号だから、きっとオフィスの人間は休んでいるんだろう。でも、工場見学やスーベニア・ショップは開いているかもしれないって言うんだよ」
「そうですか」
「そうなんだよ」
「うーん……」
「どうする?」
「行きます?」
「行くか?」
「行きますか」
てな具合で、行くことになった。時間もあったし。

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50km離れたビットブルクには45分で着いた。休日のためドライブに出かけるクルマ(は総じてウィークデーを走るクルマに比べてのんびり走る)が多かったのだが、アベレージスピードは高かった。道中、ラウンドアバウトは何カ所か通過したが、運転のリズムを著しく削ぐ信号などはなく、移りゆく美しい景色を眺めながらの快適なドライブであった(おっさんふたりだが)。

ほんの思いつきで決めたので、きちんと下調べをしなかったのだが、ビットブルガーはずいぶん規模が大きいのだろう。ビットブルクの町に入った途端、迷うことなく目的地にたどり着いた。町がこぢんまりしていることもあるが、工場もデカイのだ。そそくさとクルマから降りて門の前まで言ってみたが、門を叩くまでもなく、休みであっることが判明した。門を閉じていることは明々白々なのだが、信じたくない。よって、往生際のよろしくない発言が飛び出すことになる。

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「ここじゃないのかもしれないですね」
「そうだな、入り口は別の場所にあるのかもしれない」
裏口へ回ってみたが、人っ子ひとりいる気配がない。運良く守衛室を見つけたので、中にいるお兄さんに「今日は休みですか?」と質問してみた。
「休みは土曜日と日曜日。月曜日から金曜日まで開いているよ」
「え?」
 色めき立つビール好き。
「月曜日はやってるの? 今日は月曜日ですよね」
「あ、そうだ」
と思い出したように守衛のお兄さんは言う。
「今日だけは休みなんだよ」

死刑の宣告を受けたような心持ちだった。予測していたことではあったのだけれど、事実をズドンと突きつけられると逃げ場がない。守衛のお兄さんにもらったパンフレットを手にビットブルガーの門前で呆然と佇んでいると、散歩の途中であろう地元の熟年夫婦が近づいてきて、「どうしたの? 何か困ってらっしゃるのかしら?」と労るような口調で話しかけてきた。

「いえ、何でもないんです。工場見学に来たんですけど、休みだったんですよ」
「また明日来ればいいじゃない」
「今日の夜の便で日本に帰らなければいけないんです」
「あら、それは残念ね」
我々の気持ちをおもんぱかり、夫婦で仲良く沈んでくれた。異国の人であろうと、困っている姿を見ると声を掛けてくれる。ドイツ人のこうした姿勢に心が温かくなった。

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が、いったん沈んだ気持ちは浮き上がって来ようとしない。というわけで、門前に口を開けているレストランに吸い込まれるようにして入った。短いドイツ滞在に心残りのないようにと、白アスパラガスを注文。当初はひとりひと皿ずつ平らげるつもりでいたが、ひょっとして多すぎるかもと思い、店員を呼び止める。
「アスパラガスなんですけど、ひと皿に何本くらい載ってます?」
「えーと、何本だったかしら? ひと皿300グラムなんですけどね」
「300グラム?」

と聞いても何本なのか、想像ができない。アスパラガスには太いのもあれば、細いのもあるだろう。太いのが8本と細いのが8本では、細いのに当たった客が不公平である。その点、300グラムであれば不公平感がない。まことに合理的だ。

ことほどかように、ドイツでは数字にきっちりしている。ビールのグラスには0.2Lだの0.3Lだのと目盛りが打ってあり、店はきっちり目盛りまでビールを入れなければいけない決まりになっている。アスパラガスだって、300グラムと言ったからにはきっちり300グラム入っているのだろう。

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あるグランプリ関係者に聞いた話である。その人が泊まったホテルの朝食はビュッフェ形式であったが、ゆでたまごに2種類あって、一方には「7分」、他方には「5分」と表示があったそう。日本ならさしずめ「固め」と「柔らかめ」といった表現になるのだろうが、固めや柔らかめは主観で決まる。その点、5分や7分に主観が介入する余地はない。

ドイツとはそういう国である。だから、休みだと言えば休みなのである。あー、悲し。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その9の2 [レースな世界紀行 2004]

今年もありつけずに夏を迎えそう……

その9の2
F1第7戦ヨーロッパGP
ドイツ・デュッセルドルフ〜ケルン〜シャルケンメーレン〜ビットブルク

ケルンを後にした僕は、F1世界選手権ヨーロッパ・グランプリを取材すべく、ニュルブルクリンクに向かった。いや、正確に言うとニュルブルクリンクではない。ニュルブルクリンクを通り過ぎて20数キロ山道を走り、シャルケンメーレンという山小屋風のホテルに向かった。

ダウンという小さな町を通り過ぎ、左手に折れてワインディングロードを5分も走ると山の尾根に出て突然視界が開ける。「まあ、なんといい眺め」と感嘆の声を上げつつ窓外に目をやると、波しぶきひとつたたない濃緑色の湖があり、湖の向こう側には白壁の鮮やかな家々が、肩を寄せ合うように立ち並んでいる。

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まったくもって絶景であり、まさしくここがグランプリ取材中にお世話になるシャルケンメーレンである。仕事で疲れ切った体を休めるためだけに利用するにはもったいないような、静かで清潔で心地のいい場所だ。

いつものグランプリ取材なら、「さーて、今晩はどこで何を食うか」となるのだが、ニュルブルクリンクは山の中である。標高は700mくらいある。見渡す限り森である。手近なところで例えて言うなら箱根の山の中にサーキットがあるようなものだが、ニュルブルクリンクには温泉が湧くわけでもないし、しゃれたフレンチ・レストランもなければ、石臼挽き生粉打ちのそば屋もない。勢い「帰ってホテルのレストランで食うか」ということになる。

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こう書くと仕方なしにホテルに戻ってまずいメシを胃袋に押し込んでいるように感じるかもしれないが、決してそうではない。客の胃袋を満足させるに十分な味を、ここのレストランは提供する。ま、そこそこウマイということだ。

「ドイツのお菓子はバウムクーヘン」と刷り込まれているのと同じレベルで、「4月〜5月に食うなら白アスパラガス」と、日本人には刷り込まれているらしい。レストランで3日間夕食をとる機会があれば、まず1日は白アスパラガス(ドイツではシュパーゲルと言う)を頼むことになる。注文時にアスパラガスをください」などと言おうものなら、土地の衣装に身を包んだ、おばさんと娘の中間くらいの年頃をした女性が、「はいはい、わかってるわよ」みたいな反応を残して厨房に消えていく。

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白アスパラガスは、ラグビーボールを平たく押しつぶしたような長円形の皿に載って出てきた。ディナーテーブルを照らすろうそくも顔負けの立派なナリで、それが、ひと皿に7〜8本も載っているだろうか。もちろん、これで一人前。カレールーを入れるような立派な容器にクリーム色したソースがたっぷり入って一緒に出てくる。

マヨネーズではない。ホランディーズといって、マヨネーズというよりはチーズの仲間らしい(溶かしたバターも一緒に出てくることがある)。これをアスパラガスにたっぷりかけて、口に入る程度の大きさに切り、ガツッと噛む。ゆでてあるのでそれなりに柔らかいのだが、ふにゃふなではなくて、野性味を感じさせるほどのしっかりした歯ごたえがある。噛んで形を崩したアスパラガスの繊維の隙間から、ゆで汁がこぼれ出て口の中に広がり、これがチーズの仲間らしいソースと絡み合ってえもいわれぬ風味を出す。

ゆえに、ウマイ。ビールに良く合う。ケルンでケルシュ、デュッセルドルフでアルトを堪能した僕は、特別この土地の名物じゃないだろうが、シャルケンメーレンではヴァイツェンで通した。500ミリリットル入りのヴァイツェンを堪能したあとは、200ミリリットル入りの小さなピルスに切り替えるのがいつものコースである。

ダウンでもシャルケンメーレンでもニュルブルクリンクでも、アイフェル地方一帯のレストランで出すピルスは、まず間違いなくビットブルガーである。ビットブルガーとはビットブルクという町で生み出されるビールで、そこそこの規模を誇っている。ビットブルクはシャルケンメーレンから西へおよそ50km、ルクセンブルクとの国境が目と鼻の先にあるドイツの西の端に位置する。

シャルケンメーレンのレストランでも、ダウンの中華料理屋でも、ニュルブルクリンクのイタリアンでもビットブルガーばかり飲んでいたら、ビットブルガーの工場に行ってみたくなった。たかだか50kmである。山道であろうが何だろうが、一般道でも平均速度の高いドイツなら、移動に1時間はかかるまい。日本へ帰る便は夜の9時出発である。ビットブルクからフランクフルトまでは300km弱。空港に6時に着くとして、ビットブルクを2時に出れば間に合うだろう。昼にビットブルクに着いたとして、2時間は工場見学とランチを楽しむことができる。

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というような計算を、サーキットのプレスルームでしておった。ひとたび行く気になったら、いても立ってもいられない。が、不安がないわけでもなかった。グランプリ開けの月曜日に、果たしてビットブルガーの工場は口を大きく開けて僕なんぞを待っていてくれるだろうか。土日で観光客の相手をたんまりとし、月曜日は休む。「そういえば、日本の観光スポットは月曜日を定休日にあてることが多いなぁ」という思いが脳裏をよぎった。イヤな予感。

肩すかしを食うのはイヤだからと、月曜日に開いているかどうか、事前に確かめることにした。日曜日の朝、ホテルのフロントにどかっと陣取る陽気なおばさんに質問してみた。

「チェックアウトするの?」
「いやいや、チェックアウトは明日ですよ。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なんでもどうぞ」
「あのぉ、ビットブルガーってビール工場が近くにあるじゃないですか。ほらほらこれ」

 前日の晩の客が置き忘れたのだろうか、それともおばさん自身が使ったのだろうか、レセプションのカウンターの上にビットブルガーのコースターが1枚置いてあった。これ幸いとばかりに拾い上げる。

「これこれ。ここに行きたいんですけど」
「あら、いいアイデアじゃない。いつ行くの?」
「それが月曜日なんですけど、開いてますかねぇ」
「うーん、どうかしら。いつもの月曜日なら間違いなく開いていると思うんだけど、今度の月曜日はプフインクステンと言って、えーと、英語でなんて言うのかしら、クリスマスとかイースターのようなもので……」
「要するに休みかもしれないと」
「そうなのよ。ま、絶対に休みとは言い切れないけどね。でも、なんて言うか、クリスマスとかイースターのようなもので……。ああ、もうじれったい」
「わ、わかりました。今回は諦めることにしましょう。次に来たときの楽しみにとっておきます。ありがとう。ハブ・ア・ナイス・デー」
「はいはい、グッド・ナイト」

朝なのにグッド・ナイト?と思って出口に向いていた体を180度転回させると、おばさんはレセプションの椅子に体を沈めてゲラゲラと笑いはじめ、「あら、いやだ。私ったらなんでグッド・ナイトなんて言ったのかしら。グッド・デイって言おうとしたのに……」と、ひとり悦に入っていた(?)のであった。
(つづく)

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