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【レースな世界紀行2004】その9の1 [レースな世界紀行 2004]

それ以来、ドイツで出会った黒い液体とはご無沙汰です。正体はわかったようなわからないような……。

その9の1
F1第7戦ヨーロッパGP
ドイツ・デュッセルドルフ〜ケルン〜シャルケンメーレン〜ビットブルク

再びドイツにやって来た。ケルンでケルシュを2杯、デュッセルドルフでアルトを2杯引っかけて、F1グランプリの舞台となるニュルブルクリンクへ。

おっとその前に、ケルンでトヨタF1活動の前戦基地であるTMGに立ち寄ったが、そこでこんなことがあった。カフェテリアでランチをごちそうになっていると、テーブルの上に見慣れない調味料があるのに気づいた。円筒形の細長いボトルが塩やこしょうと並んで置いてあり、一方には「SOY SAUCE」のステッカーが貼ってある。つまり、醤油だ。中の黒い液体が透けてみるので、すぐにわかる。ドイツといえどもさすがに日本関連企業だけあるな、と感心しつつ、これをウィンナー・シュニッツエル、すなわち牛肉のカツレツにちょこちょこと垂らして食すと、まことにもってウマイ。

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おなじみの醤油の横にすっくと立つボトルには「MAGGI」と書いてあって、僕の貧弱な知識に照らし合わせてみても、何のことやらさっぱりわからない。醤油と似たような黒い液体で、ソースほど粘りけはなさそうに見える。ひとりで悶々としていてもいっこうにらちがあかないので、アテンドしてくれていたPRの女性に、「これは何?」と聞いてみた。
「これ、ソースか何か?」
「え? マギーね。なんでしょう」

なんでしょうと答えた女性はアメリカ合衆国の出身でシンシアという。イギリス留学中にドイツ人のご主人の知り合い、結婚。以来、ドイツに住んで5年になるそう。マギーの正体を知らない彼女は、ランチに同席した同僚の女性3名に質問した。

質問を受けた3名の女性は、マギーが何であるかについて、質問者であるシンシアと、シンシアに質問を頼んだ僕をほったらかしにして、議論を始めた。どれだけの会話が飛び交ったろうか。エスプレッソだったらゆうに3杯は飲み干せるくらいの時間が経過した後で、目鼻立ちの整った女性はこう言った。
「うーん、なんて言ったらいいのかしら、しょっぱい液体よ。私はあまり使わないけど」
「原材料は何? なんかの豆かしら」
 とシンシアが口を挟む。
「何でしょうね。きっとケミカルなものよ。そんな味がする。あなた試してみればいいのよ、どれだけしょっぱいかわかるから」
と、ここでようやく僕に矛先がめぐってきた。お説ごもっとも。というわけで、僕はマギーの入ったボトルを手にとって皿に数滴垂らす。それを小指の先につけてなめると、確かにしょっぱい。しょっぱいが、しょっぱいだけでなく、独特の風味が尾を引く。

「あ、これはどこかで味わったことがありますね。中華料理で使う調味料みたい」
 魚醤を思い浮かべてそう言うと、くだんの女性は反撃の態勢に転じた。
「いや違うわ。これはとってもヨーロピアンなものよ。チャイニーズじゃない」
「私もヨーロッパのものだと思うわ」
 と、シンシアも同意する。
「でも、正確なことはわからないわね。ここに3人いるけど、みんなドイツ人じゃないもの」
「ははは、そうですか。で、どんな料理に使うんですか?」
 と疑問を呈すると、シンシアは再び同僚3人に語りかけた。
「スープに使うみたい。味が物足りないときね。あと、サラダとか」

旬のホワイトアスパラを口に運ぶシンシアは、そう答えた。わかったような、わからないような。マギーの正体の正確なところはわからなかったが、魚醤のような味であることはわかった。と当時に、F1界の国際連合と言われるTMGが、いかに国際色に富んだ人材で構成されているかも改めて認識した次第である。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その8の3 [レースな世界紀行 2004]

サンマリノGPシリーズ(例によって、レースの話はしていません)は、今回で終了です。カレンダー落ちして久しいので、現地に足を運ぶことは、もうないのかな……。

その8の3
F1第4戦サンマリノGP
イタリア・トリノ〜ブリジゲッラ〜イモラ

土曜日にはグランドスタンドの側面にセナを讃える写真が飾られることになり、その除幕式が行われた。例によってイタリア語は理解不能なので、司会が何を言っているのかはわからなかったが、イモラ市の寄贈であることはなんとなくわかった。

参列者はセナの遺志を継いでセナ財団を率いる姉のビビアーニ、バーニー・エクレストンFOM会長、フェラーリのミハエル・シューマッハにルーベンス・バリチェロ。牧師が祈りを捧げ、赤い幕が引き上げられた。

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最後の年に所属したウィリアムズの青と白のレーシングスーツに身を包んだセナが手を挙げている。おそらく、観客席からの声援に応えてガレージの前で手を挙げて応えたときの写真だろう。「ありがとう」と言っているようにも見えるし、「さようなら」と言っているように見える。かすかに笑みをたたえた表情だが、どこか寂しげな印象をぬぐうことはできない。

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話は前後するが、金曜日の午前中、フリー走行が行われている最中にコースサイドを歩いた。イモラ・サーキット、いや、イモラ・サーキットは通称で正式にはエンツォ・エ・ディノ・フェラーリ・サーキットは、公園の中にコースが張り巡らされている。コースにばかり視線を集中させると、アスファルトやタイヤバリアやF1マシンやコースマーシャルくらいしか目に入らないが、緊張感をほどいて後ろを振り返ると、緑豊かな森で視界が一杯になる。木々の間を縫って小川が流れていたりもする。広い草地に木製のテーブルとベンチが置いてあったりもする。息を抜くのにぴったりだ。

セナの銅像は、そうした環境に囲まれている。銅像のアップ写真からは、周囲の環境は伝わらない。訪れて初めて実感する真実である。銅像はセナが激突をしたコンクリートウォールを、コース越しに見通す場所にある。F1マシンが甲高いエグゾーストノートを奏でて次々に通過する。周囲には僕を除いて人っ子ひとりいない。

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F1マシンが通り過ぎる際の轟音と、直後に訪れる静寂のコントラストの中で、セナの銅像の周囲は特別な空気に包まれていた。神聖な空気というのは、こういう空気を指すのだろうと思った。“神聖な”という表現が気取りすぎだとすれば、“異様な”と言い換えてもいい。とにかく、そこだけ空気が違っていた。空気の流れも時間も止まったような静けさを感じると同時に、何かに対して身構えずにはいられない緊張感を感じた。

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土曜日の同じ時間帯に訪れると、セナの銅像の周囲は、サーキットを訪れた観客に取り囲まれていた。まるで新選組隊士の墓の周囲のようににぎやかで、単なる観光名所のひとつにすぎなかった。

トヨタのクリスチアーノ・ダ・マッタと立ち話をした。ダ・マッタは2002年にCARTの年間チャンピオンを獲得し、その業績を引っ提げてF1に戦いの場を移した。チャンピオン・ドライバーだからといって、いきなり表彰台の常連になるほど、F1は甘くない。操る道具の実力が伴わなくては、いかに優れたドライバーをもってしても、レースでは後方集団に埋もれてしまう。F1参戦3年目のトヨタに、50年の伝統を誇るフェラーリと同等の実力を求めるのは酷だ。

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そんなわけで、ダ・マッタは久しく表彰台から遠ざかっている。そのダ・マッタに、CART時代に所属していたニューマン/ハース・チームから電子メールが届いた。送り主はブルーノ・ジュンケイラで、ダ・マッタと同じブラジル人。2月18日にロングビーチで行われたチャンプカー・シリーズの開幕戦で、2位入賞を果たした。
「ブルーノがメールを送ってよこしたんだけど、それに写真が貼付してあった」
「どんな?」
「表彰台でトロフィーを掲げている写真なんだけど、それにメッセージが添えてあって、『トロフィーがどんな形をしているか覚えているかい?』って書いてあった」
「ははは、それはご挨拶だね」
「それで、返事を書いて送り返してやったんだよ」
「何て書いたの?」
「トロフィーの形は良く覚えている。でも、オレが覚えているのは、2位のじゃなくて1位のだ、ってね。アイツまだ、優勝したことないんだよ」

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【レースな世界紀行2004】その8の2 [レースな世界紀行 2004]

片付けものしていて「どうしたんだコレ」と思っていたモノの正体というか、手に入れたいきさつが明らかになりました。ま、例によって忘れていただけなんですが。

その8の2
F1第4戦サンマリノGP
イタリア・トリノ〜ブリジゲッラ〜イモラ

で、サンマリノ共和国ならぬイモラに向かったわけだか、宿泊地はサーキットから西へ25km離れたブリジゲッラという山の中だった。サーキットは大抵郊外にあって、サーキットのほかに観光の目玉になるようなスポットはない。だから、宿泊施設はまばらである。いきおい、サーキットの近くに点在するわずかな宿泊施設は、年に一度の大イベントのために訪れる関係者であっという間に埋まってしまう。“たまに訪れる”ような人たちは、20kmや30kmは離れた宿を覚悟せねばならない。

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ブリジゲッラはイタリアの田舎の典型のようなところである。道の両サイドはオリーブ畑。畑を縫うように、1本道がくねりくねりと延びている。クルマで70〜80km/h出して走るのにちょうどいい。

どうしてそんなところに宿があるのかといえば、ブリジゲッラは中世の城や街並みで有名だからだ。高級オリーブオイルの産地でもある。近くには蜂蜜の産地もある。そうして、避暑地の観光ホテルのような様相を呈したホテルが崖に張り付くように4軒ばかりある。崖のふもとには大きな温泉場もある。これも観光客を引き寄せる理由である。

フランスからやって来たらしい観光客の一団を見かけたが、観光地といえども人影はまばらだ。中世の噴水と中世の塔と教会とが並んだ町のメインストリートに出かけたところで、人っ子ひとりいない。といって、ゴーストタウンのような寂しさ、侘びしさはなくて、のんびりほのぼのしたムードが漂っている。

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理由は所在なげにたむろっている老人だろうと見当をつけた。人っ子ひとり、というのは歩いている人のことで、人がまったくいないワケじゃない。道路に椅子やテーブルを広げたバルがそこかしこにあり、リタイアした老人がけだるそうに腰を下ろしている。会話を交わしている老人連中もいるが、激論をかわしている老人はいない。ただ黙って座っている老人連中ばかりだ。見慣れない東洋人などがうろうろしているのが珍しいのだろう。通りを歩いていると、好奇に満ちた視線を浴びることになる。

名物のオリーブオイルでも買って帰ろうと思ったが、どの店も閉まっていた。ドアの張り紙を見ると、12時から3時までは昼休みであることがわかる。3時に開いた店は7時に閉まる。夏時間に入ったヨーロッパの春の日は長く、8時頃まで照明なしで読書を楽しめる。日中は半袖で十分だが、湿度が低いせいで木陰は涼しい。朝晩は上着が必要なほどに冷え込むが、冷え加減がいい具合に気持ちと体を引き締めてくれる。

後日出直して、軒先にオリーブオイルを並べた1軒に入り、750ml入り17.7ユーロ也のエクストラ・バージン・オイルを1本買った。

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近くのリストランテでは、わずか2ユーロでカレー皿大の大きな皿にサラダを山盛りに盛って出してくれる。サラダと一緒に地元産のエクストラ・バージン・オイルとアチェト・バルサミコのボトル、それに塩の入った容器をテーブルに置いてくれる。

回転寿司の醤油と同じで、調味料はすべてただ。生のレタスにオリーブオイルをたっぷりふりかけ、バルサミコを水玉模様がつく程度に振りかける。緑と紫のコントラストが食欲をそそる。最後に塩をさっとふりかけて完成。至ってシンプルだが、最高のグリーンサラダが出来上がる。

2004年のサンマリノGPは、いつもよりちょっと特別なグランプリだった。1994年にアイルトン・セナがレース中の事故で亡くなってちょうど10年になるため、記念のイベントごとが多く予定されていたからだ。

サーキットの近くでセナの写真展が行われていた。ゲートの近くでは、発売されたばかりのセナの写真集を売っていた。メインゲートの近くに貼ってあった宣伝ポスターを眺めていると、恰幅のいいイタリア人のおじさんが近寄ってきて腕を引っ張る。引っ張られるままに着いていくと、写真集を売っている小さなブースに連れて行かれた。

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おじさんは狭いブースの中にいる若いおねーさんにものすごい勢いで話しかけている。残念ながら、内容は100%理解不能である。「買わされるのかな」と覚悟を決めたが、おじさんの話に納得したおねーさんは、ブースの奥からゴムで巻いたポスターを1本取り出して、僕に手渡した。おじさんは、僕がポスターを見る様子に物欲しげな雰囲気を感じ取ったのだろう。

厚意をありがたく受け取ることにし、一旦は立ち去ったが、おねーさんのやさしい笑顔が忘れられずに引き返し、写真集を買った。なぜか、はにかんでいる。こういうとき、言葉ができれななぁ、と思う。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その8の1 [レースな世界紀行 2004]

2012年シーズン始まりましたね。8年前の思い出話は第4戦。2006年を最後に、開催されなくなった土地です。例によって、レースそのものの話はしておりません……。

その8の1
F1第4戦サンマリノGP
イタリア・トリノ〜ブリジゲッラ〜イモラ

久しぶりのイタリアである。特別イタリアに思い入れがある(スペインにもある。なぜならメシと酒がうまいから)ので、珍しくイタリア語会話のハンドブックなぞ携えて機上の人となった。向かった先はトリノだ。レーシングスーツやヘルメット、グローブやシューズなど、ドライバーが身につけるレース用品を主に扱うスパルコという会社を訪れた。

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スパルコ(SPARCO)は1977年の創業で、2人のラリードライバーが興した……というから、スパなんとかさんとルコなんとかさんが興した会社かといえばさにあらず。英語のスパーク(SPARK=火花)をイタリア語風にアレンジしたのが由来だという。なぜ、火花なのかといえば、車両火災からドライバーの身を守る耐火スーツを開発・製造・販売する目的で会社を興したからだ。

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そんな興味深いストーリーを語ってくれたのは、スパルコのブランド・アンド・M&T・ディレクターを務めるマリオ・コレッティさんだった。

「道に迷うといけないから」とコレッティさんは取材当日、わざわざ僕が泊まっているホテルまで迎えに来てくれた。イタリア人であるにもかかわらず(?)、約束の時間よりもかなり早くホテルに来てくれた。スパルコに転職する以前は、潤滑油を扱う会社に勤め、イギリスにいたというから、そこで身につけたマナーだろうか、と想像する。

「イタリアの外で10年働いたからね。そろそろ戻りたいと思っていたところで、スパルコからいい話が来た」

BMW330Xのステーションワゴンをスマートに操りながら、コレッティさんが話す。といっても、転職して1年。まだトリノには不案内とみえて、ホテルから工場まではナビシステムのルート案内を頼りにしていた。通るべきオーバーパスをやり過ごしてしまったときなどは、「つい、話に熱中しちゃって」と茶目っ気たっぷりにごまかしてみせた。
「キミは運がいいよ。2日前までは冬みたいに寒かったんだ。ところが今日は夏みたい。アルプスがきれいに見えるだろ。天気が悪いと何も見えないんだから」
 アウトストラーダの左右に雪をかぶった峰峰が見える。

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「日本にもアルプスと呼ばれる地域があるんですよ」
「知っているよ。前の会社にいたときに何度か行ったことがある。富士山はきれいだよね。ほら、見えるかい、あの山。あの山の上に僕の家があるんだ。部屋からアルプスが見渡せるんだ」

うらやましい限りである。工場ではカーボンファイバーを使った製品の製造工程を見学した。カーボンファイバーを使って何を作るのかといえば、F1用のヘルメットであり、市販車用のシートであり、市販車のボディに取り付ける空力パーツであったりする。この会社はフェラーリの最上級モデル、エンツォのアンダートレイやシートを作っているのが自慢である。

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零下18℃の保管庫からカーボンファイバーの素材を引っ張り出してくるのも、コンピューター制御のカッティングマシンを操るのも、モールドにカーボンファイバーのシートを張り込んでいくのも、完成品が設計通りに出来上がっているかどうかチェックするのも、すべて女性であった。
「なぜ、女性が多いんですか」
と質問すると、山のてっぺんに住んでいるコレッティさんはエスプレッソを引っかけながら、こう説明するのだった。
「手作業は女性が一番さ。それに、なごむだろ?」

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サンマリノはイタリア北東部にある面積わずか61平方キロメートルほどの共和国だ。世界で5番目に小さい国で、切手やコイン、ワインや陶器などを観光の目玉としている。面積707平方キロメートルのバーレーンを訪れたばかりなので、「ははーん、バーレーンの10分の1よりもちょっと小さいくらいか」と見当をつけたが、調べてみれば東京の大田区(59・46平方キロメートル)や世田谷区(58・08平方キロメートル)よりわずかに大きい程度である。

それはさておき、F1サンマリノGPはサンマリノ共和国では開催しない。アドリア海に近いサンマリノ共和国から100kmは内陸に寄った、イモラという牧歌的な風景の広がる小さな街に1周4.933kmのサーキットがあり、ここでレースを行うのを常とする。どうしてこんなややこしいことをするのかと言えば、F1は1国1グランプリが原則だからだ。イタリアでは例年9月に、ミラノ近郊のモンツァという町でイタリア・グランプリを開催している。

でも、イタリアのことである。あのフェラーリのお膝元である。ティフォシと呼ばれる熱狂的なフェラーリ・ファンがいる。1年に1回では飽き足らず、どうしても、もう1回イタリアでF1を見たい。というわけで1980年以降、モンツァに加えてイモラでF1が開催されている。イタリア・グランプリはすでに存在するので、近く(といっても100km南東)に位置するのを幸い、サンマリノの名前を借りて開催しているのだ。

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こうした例外は他にもあって、ミハエル・シューマッハの活躍でF1人気沸騰中のドイツでは、ホッケンハイムで行うドイツGPのほかに、ニュルブルクリンクで行うヨーロッパGPがある。かつては、ルクセンブルクGPを名乗ったこともあった。

日本でF1ブームがにぎやかだった頃は、鈴鹿の日本GPのほかに、岡山の英田でパシフィックGPが開催されていた。サンマリノにしてもヨーロッパにしてもパシフィックにしても、苦し紛れである。パシフィックはすでに消滅したが、サンマリノもヨーロッパもいずれは消え去る運命だろう。

F1は脱ヨーロッパの流れが加速しつつあり、2004年にはバーレーンと中国でF1が初開催。これにともなって年間18戦ものレースが開催される運びとなった。F1史上、年間最多のレース数である。トルコやドバイなどもF1開催に名乗りを上げているため、伝統のある開催地といえどもうかうかしていられない状況となってきた。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その7の3 [レースな世界紀行 2004]

バーレーンの回は今回でおしまいです。春が(もっと言うと夏が)待ち遠しい。

その7の3
F1第3戦バーレーンGP
バーレーン

心配は杞憂に終わったと言えるだろう。見たところ、サウジアラビアなど近隣の裕福な国から大勢の客がやって来ていたようだった。中東ばかりでなく、ヨーロッパからも多くのファンがやって来た。収容能力4万5000人のところ、決勝レース日は4万人の観客でにぎわったと聞く。

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初めてF1を体験する客も多かったようだ。どうしてそれがわかるかというと、“音”である。F1マシンの排気管から放たれる音はハンパでなく大きい。テレビのボリュームを最大にしてF1サウンド耳元で聞いたとしても、生の迫力には敵わない。音が大きいだけでなく、圧力があるのだ。目の前を時速300キロ超でF1マシンが通り過ぎた後の観客席を眺めると、両手で耳を覆う人の姿が目立っていた。「なんだコレ!」という表情である。その顔がみな、惚けたような笑顔なのが興味深い。

テロの脅威も心配だったが、杞憂に終わって心底ホッとした。それにしても、空港でも町中でもサーキットでも、気抜けするくらいユルユルのセキュリティ態勢だったが、あれは一体何だったのだろう。

サーキットを入るにしても手荷物チェックひとつなかった。セキュリティが鋭い目を光らせてあちらこちらを徘徊しているわけでもない。その気になったら持ち込み放題、やり放題だったと思うが、一般人の目の届かないところで監視の目が光っていたのだろうか。ベルトを外させ靴まで脱がせるアメリカの空港セキュリティとまではいかないが、ある程度の不便を覚悟していただけに、拍子抜けがした。ユルユルなセキュリティ態勢で油断させ、相手の尻尾をつかまえる、バーレーンなりの新たな作戦だったのだろうか。

ヒヤッとしたのは、レースがあと30分で始まろうかという頃である。グランドスタンドに陣取っていると、最終コーナーの方角から旅客機がゆらりゆらりと低空飛行でこちらに向かって飛んできた。その姿が巨大なスクリーンに映し出された。金色に塗られた巨体に「ガルフ・エア」と書いてある。

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バーレーンGPの冠スポンサーは、UAEなどペルシャ湾岸4カ国が共同出資して運航する航空会社である。F1グランプリではレース当日、場を盛り上げる催し物として戦闘機の編隊飛行を見せたり、パラシュートによる降下を見せたりする。ガルフ・エアのゆらゆら低空飛行もそのひとつだと頭では理解したが、「ひょっとして、ひょっとするかも」という疑念は、旅客機が視界から消えるまで立ち去らなかった。

金色の旅客機は、おそらくコクピットの中ではいろんな警報機がアラーム音を鳴らさずにはおかないような超低速低空で、最終コーナー方向からVIPタワー方向に向けて飛び、巨体を左右に揺らして腹と背中を交互に見せた。突拍子もない見せ物に観客席は拍手と歓声の嵐だったが、旅客機が視界から消えたとたん、重たい溜め息に包まれた。みな、疑念を捨てきれなかったようだ。

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VIPタワーにはバーレーンのシャイク・サルマン・ビン・ハマド・アル・カルファ国王のほか、ゲストとしてヨルダンのアブダラ国王、スペインのファン・カルロス国王、イギリスのアンドリュー王子にモナコのアルバート王子、ドバイのマクトゥム・ハシャ・マクトゥム・アル・マクトゥム王子にブルネイの君主、リヒテンシュタインのハンス−アダム王子が臨席するなど王族のオンパレードであったが、心中いかばかりであったか。

タクシーはホテルのエントランスなど所定の場所で拾えるほか、手を挙げて流しを拾うこともできる。日本と同じだといえるが、大きく異なるのは、運転手がみなトゥーブと呼ばれる白い布をまとっている点だ。

概して運転手はフレンドリーである。料金メーターはついていたが、6日間の滞在中、一度もメーターを使う運転手に遭遇しなかった。日本のタクシーと同じように、後席両サイドの窓に貼り紙(というより貼り透明シート)がしてあり、「最初の3kmで0.8ディナール」とハッキリ記載があるのだが、みな言い値である。言い値がドライバーによってまちまちであり、日が進むにつれてエスカレートする傾向にあった。

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何回タクシーに乗っただろうか。どれもマナーマの市内を移動しただけなので、間違いなく3km以内である。本来なら0.8ディナールで済むはずなのに、要求された金額は2ディナールから10ディナールに及んだ。支払ったのは2ディナールから4ディナールであった。目的地に着いて「いくら?」と聞くと、運転手はたいていこう言う。

「いくら払う? マイ・フレンド」
「3ディナール」
「いや、6だ、マイ・フレンド」
「なんで6なんだよ。さっきは同じルートで3しか払っていない」
「いや、6だ。道が混んでいるし、それに夜だから、マイ・フレンド」
「6なんか多すぎる。空港まで行けちゃうだろ。3で十分だ」
「いや、6もらわなきゃ合わないね、マイ・フレンド」

強いこと言いながら「マイ・フレンド」で親近感を出そうとする攻め口だ。このような応酬の末に2から4に落ち着くのである。乗り込む前にあらかじめ運賃をフィックスする方法も試したが、値決めの応酬を省略することはできなかった。

そんなこんながあっても、タクシーの運転手は基本的にフレンドリーである。乗り込んでこちらが日本人だと見ると、たいていはこう言う。

「日本人か?」
 日本人だと答えると、ダッシュボードととんとん叩きながらこう言う。
「そうか。このクルマ日本車なんだぜ」

何度同じやり取りを経験したことか。最新のトヨタ・カローラを運転するドライバーもいれば、直線道路を走っているのにステアリングが左に傾いでいる25年前のトヨタ・マークIIに乗るドライバーもいる。そして、彼らは最後に決まってこう言う。
「日本車は優秀だよ」
フレンドリーなのは大歓迎だが、愚痴を聞かされてはたまらない。ある運転手は、自分がいかに疲れているかを乗客である僕に訴えた。

「オレはトラックを20年運転していたんだ。昼はトラックに乗り、夜はタクシーを運転した。この5〜6年はタクシーだけだ。毎日タクシーに乗っていると背中と膝が痛くなる。それにこの渋滞。マナーマはいやだね、混んでるから。排気ガスもひどいしさ、ストレスが溜まるよ……」

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また、ある運転手はこう訴えた。この運転手は人が行き先を告げると「知らない」と平然と答えた。ホテルの名前を言い、通りの名前を言ったが「知らない」を繰り返す。直線距離にして1kmほどの場所にもかかわらずである。歩道にたむろっている運転手仲間に聞いて回っているが、理解に苦しんでいる様子。

ここでいたずら心に火がついた。旅の同行者が助手席に移動してエンジンを掛け、僕が運転席に乗り込んでドアを閉めると、運転手はあわてて駆け寄ってきた。
「何すんだよ。道わかったから行くよぉ。でも、オレ基本的に運転嫌いなんだよな。道知らないし……」
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その7の2 [レースな世界紀行 2004]

今週はどこにも出かけない、いや、出かけている場合ではないような情勢。出かけたいですねぇ、バーレーンでなくてもいいから。

その7の2
F1第3戦バーレーンGP
バーレーン

奄美大島だか淡路島だかシンガポールだか知らないが、面積707平方キロメートルもあれば、どこへ出かけるにしても運転のしがいがある。バーレーン島は実際には南北に細長い島だが、707のルートは26.5897…であり、仮に島の形が正方形だとすれば一辺は26.6kmほどになる。島の真ん中を走れば見渡す限りの陸地で、とても島にいる実感は湧かない。

F1バーレーンGP開催のために建設されたバーレーン・インターナショナル・サーキットは、バーレーン島のほぼ中央部にある。空港は島の北東端から橋を渡った小さな島にあって、首都マナーマはバーレーン島の北東部。僕が泊まったホテルはマナーマの東北の外れで海岸の近く。であるからして、ホテルを起点にレンタカーでサーキットに行くとすれば、南西方向に約20kmのドライブとなる。

空港でもらった大ざっぱな地図を頼りにサーキットに向かったのだが、地図など必要ないことが走り出してすぐにわかった。道のあちこちに案内標識があるからだ。標識を頼りに右に曲がったり左に曲がったりすれば、自動的にサーキットにたどり着く仕組み。たとえルートを外れても、どこかで必ずまた案内標識に出会うので、簡単にルートに復帰することができる。これは便利だった。

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ただし、一般道と高速道路の区別があいまいなのには困惑した。こちらの高速道路はアメリカのフリーウェイやドイツのアウトバーンと同じように通行が無料で、チケット発券のための施設もなければ料金所もない。角を曲がったら高速道路だった、というような趣である。

フリーウェイやアウトバーンと異なるのは、自動車専用の道路を走っていることをドライバーに意識させるような仕掛けに乏しいことだ。路側帯もなければ、緊急連絡用の電話もないし、サービスエリアもなければ、パーキングエリアもない。

さすがに中央分離帯はあるけれども、高速道路特有の設備ではない。そこでついつい、自分が高速道路を走っているのだか、一般道を走っているのだか、判断がつきにくくなる。高速道路を走っているつもりが、突如として信号なりランナバウトなりが現れて、一般道であることを知ったりする。勢い、急ブレーキの必要に迫られる。

旅行者だけがこんな危ない思いをしているのかと思えば、どうやらそうでもないらしい。地元の交通事情に精通した人物の話によると、高速道路と一般道の区別があいまいなせいで、バーレーンでは追突事故が多いのだそうだ。ウインカーを出さずに急な進路変更をしたり、前のクルマを執拗にあおったりするこの土地のドライバーのマナーにも問題があるらしいが。

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端正な佇まいのモスクを横手に見たり、アラブな雰囲気満点の迎賓館を通り過ぎたりしてマナーマに別れを告げると、大規模な工場群が現れ、石油タンクが現れ、パイプラインが現れし、コンクリートブロックで作ったこの地域特有の平屋の民家の群れが目に入る。目にする建物が変化するにつれて建物の密度が低くなり、ついには茫漠たる砂の荒れ地になった。見渡す限りサンドベージュ一色である。その中央を舗装したての黒々とした道路が一直線に伸びている。中央分離帯と路側帯にはデイトと呼ばれるナツメヤシが延々と続いている。

「これはスゴイところだ」と頭の中で感嘆の声を挙げていると、やがて遠くにナツメヤシの葉の形に似た屋根を持つ、サーキットの施設群が浮かんで見えた。誇張でなく、“砂漠の中のオアシス”のようだった。

バーレーン・インターナショナル・サーキットは、2004年4月4日に定められた初開催に間に合わせるため、突貫工事で建設が進められた。開催のほぼ1カ月前に完成式が執り行われて「建設が間に合わないから開催できない」という最悪の事態は避けることができた。だが、心配がすべて解消されたわけではなかった。

“砂”である。サーキット周辺の土地は、砂の大地だ。砂漠のようにフッと息を吹きかければパッと粉のように舞い上がるような性質ではなくて、土と砂をミックスしたような土地ではあるが、あたり一面が岩石とその仲間で覆われていることに変わりはない。ひとたび風が吹けば、あっという間にコースは砂に覆われてしまう。

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これは大変だとばかり、サーキット側はアスファルトで舗装されたコース両脇の砂地をセメントで固め、砂がコースに乗らないような配慮をした。サーキット施設の外側から内側に砂が入り込まないよう、ナツメヤシをたくさん植えて防砂林を作るアイデアもあったようだが、こちらは時間切れで対策ができずじまいとなった。

エンジンは大気中の空気を燃焼室に取りこんでいるが、空気と一緒に砂を取りこんではトラブルのもとになる。F1のエンジンには、乗用車のエンジンと同じように砂やホコリをキャッチするエアフィルターが取り付けられているが、トヨタはバーレーンGPのために、濾過面積が広く、目の細かい特製フィルターを用意して対処した。他のチームも同様の対処をしたようだ。

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タイヤは表面のゴムが柔らかければ柔らかいほどグリップ力が増す性質を持っているが、柔らかくするほどに砂が付着する傾向が強くなるので、「ワンランク固めのタイヤを持ち込んだ」とブリヂストンの浜島裕英モータースポーツ開発室長は説明した。
運が良かったのだろう。日曜日にちょっと強い風が吹いて関係者をヒヤッとさせたが、総じて穏やかな天候に恵まれ、砂が猛威をふるうことはなかった。エンジンもタイヤもドライバーもたいしたトラブルに遭遇せず、レースに集中することができた。

だが、来年も大丈夫、とは保証できない。決勝レース翌日の月曜日は朝から強い風が吹いていた。晴天であるにもかかわらず、サーキット周辺は舞い上がる砂のせいで黄色っぽかった。道路の至るところで砂煙が踊っていた。労働者たちが側溝に詰まった砂を掻き出していた。2005年バーレーンGPの準備は、砂の山からサーキットを掘り出す作業から始めることになるかもしれない。

心配は砂だけではなかった。果たしてバーレーンくんだりまで客はやってくるのだろうか。こちらも心配の種だった。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その7の1 [レースな世界紀行 2004]

なんだかこの先1ヵ月ほどは新鮮なネタをお届けできないようなムードになってきました。おかしいなぁ、こんなはずじゃ、と思いつつ時間が過ぎゆくばかり。そんなときは、昔を振り返って現実逃避……。

その7の1
F1第3戦バーレーンGP
バーレーン

バーレーンと聞いて何を思い浮かべるだろう。少なくとも僕の場合は、「中東」「アラブ」「イスラム」「(とくに最近は)危なそう」といったキーワードが思い浮ぶ。それも確固たるイメージではなくて、淡くぼんやりした頼りないものである。

そのバーレーンでF1グランプリが開催される。というので、土壇場になって情報を仕入れた。仕入れたところによると、バーレーンは島国である。首都マナーマのあるバーレーン島を含めて33の島で構成され、主要な島は橋で結ばれているという。国内の島同士が橋で結ばれているだけじゃない。隣国サウジアラビアとは全長なんと25kmの橋で結ばれているという。

 知らなかった。面積は707平方キロメートルだ。一体全体どれくらいの広さかというと、たいていの説明文には「奄美大島くらい」と書いてある。なかには「淡路島くらい」と書いてある。英語のインフォメーションには「シンガポールくらい」と書いてある。いずれにしても、実感が湧かない。ベースとなる知識が薄弱であるだけに、バーレーンに関することなら何もかもが新鮮だ。

人口は約70万人。そのうち4割はインドやフィリピンから来た出稼ぎ労働者だそう。公用語はアラビア語だが、1971年にイギリスから独立した背景を持つだけに、国民のほぼ100%が英語を話す。アラブの他の国の例にもれず、日中は暑く朝晩は涼しい砂漠性の気候だが、周囲を海に囲まれているだけあって、年中多湿。中東で初めて油田が発見された国ではあるが、石油は涸れ気味で、脱石油依存型の経済に移行する最中だという。

どんな経済かといえば、石油精製であったりアルミ精錬であったり、観光産業であったりする。このうち、観光産業の範疇に入るのが、F1グランプリの開催だ。モータースポーツの最高峰と位置づけられるF1グランプリは、各種のメディアによって世界中に報道される。こうした報道を通じてバーレーンの名を世界中に知らしめ、観光客を呼び込もうという魂胆。そうした魂胆のお先棒を担ぐ一員として、僕はバーレーンに飛び立った。

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成田はちょうど、新東京国際空港から成田国際空港へと名称を変更するタイミングだった。出国ゲートではきれいなコスチュームに身を包んだ令嬢が、「NAA」のロゴが入った緑色のバッグを配っていた。旅行客がそれを受け取っていた。その風景をテレビカメラが追いかけていた。僕はテレビカメラのフレームに入らないような努力をしながらも、バッグだけはちゃっかりもらえるような努力をして手荷物検査場へと足を運んだ。

新東京から成田へと名称が変わったことよりも、むしろ重要なのは公団から株式会社へと組織が変わったことである。果たして“成田”は魅力的な空港に生まれ変わるだろうか。生まれ変わってほしいなぁと心の底から思う。レースな世界紀行を通じていろんな国のいろんな空港を飛び立っては降り立ってはきたが、成田ほど退屈な空港を他に知らないからだ。

今回はタイ・バンコック経由でバーレーンに向かったのだが、バンコックの空港は、それはそれは楽しい空港だった。タイの名物料理を出すレストランがあったり、名産品を扱うショップがいろんな形態で店を構えていたり、足裏マッサージがあったり、長時間の乗り継ぎ待ちを過ごす人のためのデイ・ルームがあったりで、コンコースを歩いていて飽きないし、滞在して飽きないのである。

バンコック空港の場合は、どこか別の地へ行くための単なる通過点でなく、滞在点としての魅力を備えている。空港での滞在時間を積極的に増やすだけの価値がある。僕は空港の外に出た経験がないからバンコックという街を知らないし、タイという国がどういう国かも知らないが、行きと帰りに空港で何時間かを過ごしただけでもって、「タイっていい国なんじゃないか」と決めつけてしまっている。「今度は腰を落ち着けて街歩きをしたい」とも思っている。成田も人にそうした印象を与えるような雰囲気を持ってもらいたいと願っている。

で、観光産業に力を入れているバーレーンはどうだったかというと、バンコックにはまだまだ敵わない、というのが率直な感想だ。第一印象は大切だ。国際空港はその国の顔である。空港でいい印象を受ければ、その後の滞在が楽しくなるし、悪い印象を受ければ、これはちょっと覚悟したほうがいいなと身構えてしまう。残念ながら、バーレーン国際空港は後者であった。何より、華やかさに欠ける。

自動ドアが開いて到着ロビーの光景が目に入った途端、思わずおののいた。黒山のひとだかりが目に入ったからである。こちらを向く顔という顔、目という目が、誰かをまっているのか、何かを企んでいるのかが判然としない。それだけに不気味である。「タクシーいらない?」と、白タクにしつこくつきまとわれるようなことこそなかったが、一種異様な威圧感がある。

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ところが実際のことろ、この国の人たちはかなり人なつこい。まったくもってフレンドリーだ。それは会話をかわすなりして彼らに接してみればわかる。泊まる予定にしていたホテルでは、こちらの凡ミスで宿泊予定が1日少なかったにもかかわらず(つまり、着いた日の予約は入っていなかった!)、快く部屋を用意してくれたし、荷物は狭いロビーに3人いる従業員が先を争うようにして持ってくれるし、タクシーを呼んでほしいと言えば、電話をかけるでもなく、従業員が表に走り出てつかまえてくれる。

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別にホテルが用意したサービスじゃないだろうが、度重なる夜の襲撃には辟易した。あてがわれた部屋がたまたまホテル内にあるディスコの近くで、一晩中ドンチャカチャカチャカと重低音に悩まされたのはまだいいが、夜中の1時に電話を鳴らされてはたまらない。

「はい」
「ハロー」
「ハロー、どなたですか?」
「ビクトリアです」
「は? 部屋間違ってませんか?」
「間違ってないわよ。人生楽しんでる?」
「は? それどころじゃないんです。まだ仕事しているんですから(ウソ。本当は寝ている)」
「それは大変ね。これから楽しまない?」
「楽しみません。仕事しているって言ったでしょ」
「そんなこと言わないで」
「ごめんなさい、切りますよ」
「あら、残念ね」

受話器を置いた途端、隣の部屋でベルが鳴る音が、薄い壁を通して聞こえてきた。というようなやり取りのあった翌晩だったか、今度は夜中の3時に部屋のドアをドンドンと叩く音で目が覚めた。アラビア語だか、何語だか知らないが、女性が大声で叫ぶ声がする。ドンドンドンドン、●△■×。ドンドンドンドン、●△■×の繰り返し。寝られたもんじゃない。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その6の3 [レースな世界紀行 2004]

フェニックス編はこれで最後です。次回はバーレーン。

その6の3
IRL第2戦フェニックス
アメリカ・フェニックス

F1の興行面を取り仕切るバーニー・エクレストン氏は毎日パリッと糊の利いた白いシャツを着用し(毎日新品を着ているというウワサ)、取り巻きを引き連れてパドックを闊歩しているが、IRLの顔役であるトニー・ジョージ氏は、大径のクロームメッキ・ホイールを装着した真っ黒なミニでレース場に乗り付ける。パドックではエクレストン氏と同じパリッとアイロンの利いた白シャツ姿だが、取り巻きを連れず、ひとり、セグウェイに乗ってパドックを移動している。

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パドックでトヨタのNさんにお目にかかった。Nさんは前年までモータースポーツ推進室長として活躍しておられたが、この年の2月にトヨタ・モーター・セールス(TMS)に異動になり、TRD・USA(トヨタ・レーシング・デベロップメント)の担当副社長を務めておられる。勤務地はロサンゼルスで、トヨタ自動車とTMS、TRDの調整役となり、アメリカでのトヨタのモータースポーツ活動が円滑に進むように尽力されている。

トヨタが参戦するモータースポーツといえば、F1もあればIRLもあり、全日本GT選手権もあれば全日本F3もあり、パリダカもありと多彩なのだが、F1参戦を機にモータースポーツ推進室が生まれた経緯もあり、NさんはトヨタのF1参戦決定以来、ずっぽりF1にはまってきた。

IRLのフェニックス戦と時を同じくして遠くマレーシアではF1の第2戦が開催されていた。時差の関係で、F1のレースはフェニックスの時間帯では土曜日の深夜に行われ、日曜の朝の時点ですでに結果を記したレポートが手元にあった。トヨタは9位、12位だった。開幕戦の12位、13位からは一歩前進を果たしたが、念頭に掲げた「毎戦ポイント獲得」の目標にはほど遠い。レース結果を記した社内資料に目を通すNさんの表情も硬かった。

一方、長年苦しんだ甲斐があって、アメリカでは王者の風格である。CARTのタイトル獲得を経て2003年から参戦の場を移したIRLでは、初年度ながらタイトルを獲得した。3週間前に行われた開幕戦でもワンツー・フィニッシュを達成。2連覇に向けて幸先のいいスタートを切っていた。

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今年からはIRLの何倍も人気のあるNASCAR(ナスカーと読む)の下位カテゴリー、クラフツマン・トラック・シリーズに参戦を開始。開幕戦でいきなり2位に入る健闘を披露し、2戦目ではポールポジションを獲得、連続2位をゲットした。

「先週、モータースポーツ会議がありましてね。3ヵ月に一度あるんですが、F1が散々な成績だったから、向こう(TMG)は日本に呼びつけられてね。被告席に座らされた(笑)。なんだ、この成績は、と。僕の方は『初戦終わりました。ホームステッド、ワンツー・フィニッシュでした。は、ナスカー・トラック、初戦から2位に入りまして、第2戦はポール取りました。最後ちょっとしたあやでコケましたけど、2位、3位、4位でしたよ』なんて報告したら、そうか、よくやったなと。それに引き替えにね……」

昨年までの立場だったら被告席に回っていただけに、胸中複雑なようである。F1といえば、トヨタ・ユーザーのひとつ、チップ・ガナッシ・レーシングに所属するスコット・ディクソン(2003年、初参戦のIRLで年間タイトルを獲得)が、フェニックスでのレース終了後にヨーロッパに渡り、F1、それも名門のウィリアムズBMWのテストに参加するという発表があった。

「スコットと話しましたけど、彼は本当に喜んでましたよ。実績が買われたわけですから。『ホントはトヨタに呼ばれたかったけどね』と言っていましたが。ま、それはお世辞でしょう。誰でもいいチームで走りたいもんね。お世辞も言えるようになりましたよ。実績ができましたから。最初はニュージーランドから出てきた田舎者でね、おどおどしてさ。でも、勝てば風格が出てくるんだね。なかなか立派になった」

ディクソンのように立派なドライバーになるだろうか。松浦孝亮選手は今年IRLにデビューしたルーキーである。前項でも触れたように、彼は大先輩の鈴木亜久里チーム代表から薫陶を受けている。今回のレースでは、終盤に再スタートが切られる際、鈴木チーム代表は走行中の松浦選手に向かって指示を出した。レース中に無線を通じて指示を出すのは、挑戦2年目になるIRLでは初めてのことだという。

「前に同一周回のクルマが2台いる。抜いてこい」
そう指示を出したというのだ。そこで、「そんなこと言って、無理してぶつかっちゃったら、と思いませんでしたか」と聞いてみた。
「思わないよ。“抜く”のと“ぶつかる”のは違うんだから」
との返答。ぶつかってしまっては元も子もない。ぶつからないように相手の横をすり抜けて前に出る。それができる自信があれば飛び込め、なければ無理するな。はっきりしろ。そうした意味が「抜いてこい」という短い言葉の中に込められている。

松浦選手は、忠実に任務を遂行。再スタート直後に目前の1台を料理した。結果、3人いるルーキーの中の最上位でレースを終えることになった。これまでは1周1周が経験になるからと、はやる気持ちを抑えて完走狙いの走りを続けていたが、「最後の10周はレースをした気になった」と、頬を紅潮させつつ語った。

その松浦選手は、このレースからベテランのチームメイトを迎えることになった。エイドリアン・フェルナンデスである。松浦選手の所属チームはスーパー・アグリ・フェルナンデス・レーシングだ。アグリは鈴木亜久里のアグリ。フェルナンデスは、エイドリアン・フェルナンデスのフェルナンデスである。つまり、オーナー兼ドライバー。百戦錬磨のベテランで実績もあり、フロリダに大豪邸を構えているし、フェラーリだって持っている。

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(※写真はイメージです)

そのフェルナンデスのフェラーリが、もう少し詳しく言えば360モデナのリミテッドエディションが、チームが休憩所とするモーターホームの横に止めてあった。それを松浦選手、指をくわえるようにして眺めたらしい。さらにまたその様子を鈴木チーム代表が見ていた。そして、こう言ったそう。

「そんなものは後でいくらでもついてくる。勝ったらオレのクルマを1台やるって言ったんだ。勝って泣かせてくれってね」
泣かぬなら、泣かせてやろう鈴木亜久里(冗談)。鈴木チーム代表はフェラーリ360モデナのオーナーでもある。が、あまり乗る機会がないので、「バッテリー上がってるかも」とおっしゃる。と聞けばぜひ、松浦選手には勝ってもらいたい。

鈴木チーム代表のように背中に鞭をくれる恩師もいれば、からかい半分にアドバイスをくれる先輩もいる。アメリカで4年目のレース・シーズンを過ごす高木虎之介選手だ。高木選手はレース序盤、松浦選手の背後につけて、前に出る機会をうかがった。すると、松浦選手は先輩の通る道を邪魔してはいけないと、道を大きく空けて譲ったのである。レース後の共同記者会見で高木選手が「50番台のクルマが危なかったですね」とコメントした。隣に座っていた松浦選手の顔が硬直したのにはワケがあって、彼のカーナンバーは55番だからだ。

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「55番はインを開けすぎだよね。様子をうかがって少しクルマを横に振ったら、必要以上にスペースを空けてくれた。気持ちはわかるけど、あれは危ないよ。あまり外に出るとゴミを拾うから」

マシンが走行しないコースの外側にはホコリが堆積しているほか、走行中のタイヤから削り取られたカスが散らばっている。それらを踏めば走行に悪影響が出る。高木先輩は松浦後輩に対し、遠回しにアドバイスしたのだった。

さて、レース時の気温は37℃だった。湿度は20%。加えて強風が吹いている。メインスタンドの最上列で観客と一緒になってコースを眺めていると、まるで頭のてっぺんからつま先まで、巨大なドライヤーを当たられているようだった。ルーフで直射日光が遮られていたからいいものの、よく干からびなかったと感心するほど、過酷な環境だった。

観客席の最上段に陣取ると、コース全体を見渡すことができることは前にも述べたが、見る側の緊張感がちょっとでも緩むと、先頭がどこを走っているのかたちまちわからなくなる。なにしろ20秒で1周してしまうのだから、ちょっと考えごとでもしていると、5周や6周は過ぎている。でも、復帰は簡単だ。頭にカツを入れて目を凝らせば状況が手に取るようにわかる。だから、のんべんだらりと眺めていても一向に差し支えない。

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レースが半分を過ぎた頃から席を立つ人が目立つようになった。後ろを振り返ってコースの外に目をやると、クルマがフリーウェイに向かって列を作っている。視線を手前に移動させれば、レースウェイ内に留まっているファンが、露天を冷やかしたりしながら歩いている。

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目を凝らしても見えなかったが、おそらくキャンプサイトでは、ディレクターズ・チェアに寄りかかった人々が、エグゾーストノートに耳をやりながらビールだかコーヒーだかを啜っているのだろう。要するに、各人が各様にレースを楽しんでいる。レースを、ではなく、イベントそのものを各人が各様に楽しめばいいのである。

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【レースな世界紀行2004】その6の2 [レースな世界紀行 2004]

きっとまたブランク空きますが、今週前半は集中的にアップします。

その6の2
IRL第2戦フェニックス
アメリカ・フェニックス

マイアミのホームステッド−マイアミ・スピードウェイでもしたように、メインスタンドの最上部に陣取ってインディカーが走り回るのを眺めることにした。ホームステッドは1周が1.5マイル(約2.4km)だが、フェニックスは1マイル(約1.6km)なので、いくぶんこぢんまりしている。しているが、天から下界を見下ろすような、エラくなった気分は味わえる。

ゆえに、爽快だ。コースの向こうに乾いた大地が広がっている。大地だけじゃなくて、乾いた山も幾峰か見え、景観に変化を与えている。そして、ビールが欲しくなる。

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しばしエラくなった気分を味わってから、グランドスタンド裏をぶらぶらと歩いた。Tシャツやキャップ、ステッカーなどのPIR公式グッズを扱うオフィシャル・マーチャンダイズ、ビールやレモネード、アイスクリーム、ハンバーガーやホットドッグ、フレンチフライ・ポテトを売るスタンドが軒を連ねている。ちなみに、16オンス(474ml)入りのビールは5ドル、チーズハンバーガーも5ドル、フレンチフライ・ポテトは4ドルだった。

こうした物販のほか、観客がモータースポーツを身近に感じられるさまざまな仕掛けがあった。シボレーとトヨタは独自に大きなテントを構え、自社が参戦する各モータースポーツ・カテゴリーの競技車両を展示している。インディカー・レースを統括するインディ・レーシング・リーグ(IRL)は、ピットクルーになった気分でタイヤ交換を体験できるアトラクション、ドライバーになった気分を味わえるテレビゲーム(展示用に作ったインディカーの運転席にモニターが設置してある)を設けて、ファンとの間にフレンドリーな関係を築こうと努力している。

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どちらも閑古鳥が鳴いていたのがわびしかった。そもそも、金曜日のスタンドはガラガラである。昼時だというのに、列を作らず食べ物や飲み物を買うことができる。人気のない遊園地ほど寂しさを感じるものはないが、人気のないレース場も負けず劣らず寂しい。

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そうした物寂しさの中で観客の人気を集めていたのが、子供用のミジェット・レースだった。大人用のミジェット・レースの4分の1くらいのサイズで、言い方を変えればパイプフレームで組んだゴーカートみたいなものだ。もっと言い方を変えれば、スーパーのショッピングカートにエンジンがついたような風情である。

そんな極小ミジェットが1周100mくらいの極小オーバルコースをぐるぐる回っている。直線などほんの20〜30m程度で、ライン取りなどは、大人用オーバルでは直線に円弧を組み合わせた長円形だが、子供用は純粋に円形になる。

この極小オーバルに6〜7台が一緒になって競い合いをするのだが、大人顔負けのデッドヒートだ。コースが狭かろうが、直線が短かろうが、前に出たければインを刺し、気合いでもって相手をひるませて思いを成し遂げる。体は内側に傾きっぱなし。左前輪は浮きっぱなしである。

白熱してくればスピンも起きる。スピンが起きれば避けきれずに衝突をする場面も出てくる。衝突をするクルマがあれば、乗り上げてジャンプをするクルマもある。でも、くじけている様子がない。見ていて清々しい。

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この極小ミジェット、調べてみれば1/4ミジェットと書いて、クォーター・ミジェットと呼ぶ。対象は5歳から16歳。全米の57カ所にコースがあり、全米のあちらこちらにクラブがある。「気になったらいつでもどこでも声を掛けて」と宣伝している。形は小粒でも中身は立派で、4輪独立サスペンションを装備。エンジンは120ccから150cc。走るのはすべてインディカーと同様オーバルコースだが、アスファルトだけでなく、コンクリートやダートも走る。

おもしろいのは“ファミリー・スポーツ”だということだ。子供の参戦を手伝うのは、家族あるいはボランティアで、実際僕がフェニックスで目にした光景も絵に描いたようにファミリーな光景だった。おとうさんが汗を流し流しマシンのメンテナンスをし、おかあさんが子供とおとうさんの奮闘する姿を半歩下がって見守るというような。

夜はジャパニーズ・レストランに行った。店の名はミシマである。フェニックスのダウンタウンにある目的の店は、ちょっと寂れたモールの一角にあった。ぼんやり薄暗い周囲の明るさというか暗さに溶け込むように、MISHIMAの店名がイルミネーションで浮かび上がっているのだが、Sの電球が切れてMI HIMAに見える。

「ヒマだったりして」
 なんて、冗談のつもりで言ったら、
「ええ、そのとおりなんです」
と、ストレートに肯定の返事が帰ってきた。ガラスドアを開けてみると、15人は座れそうなカウンターにアメリカ人が3人。4人がけのテーブルが5つあるがすべて空席。一番奥のテーブルの上には200ピースは下らないだろうジグソーパズルがやりかけのまま放置されている。この状況をもって店の繁盛ぶり、というかヒマさ加減が想像できる。

店員は「寿司が自慢」だと言う。寿司といえば、生の魚をネタにつかう。しかして、フェニックスは海からかなり離れている。ゆえに、寿司や刺身はやめておこうという防衛心が働いた。オーダーしたのは、すき焼き定食15ドル98セント也。キリン・ビールの箸休めには、イカのフライをオーダーした。見た目はイカのフライというよりトンカツだが、味はまあまあである。食感がはんぺんみたいにグニュっとしていてとってもビミョーな食べ物である。

「いまからすき焼きお持ちします。これよかったらどうぞ?」と女将が持ってきたのが生卵。「生で卵を食べる習慣のないアメリカの卵は熱を加えるべし」とどこかで聞いたような気がしたが、「生卵なしですき焼きなんぞ食えるか」という思いの方が8対2の割合で強かった。

味はまあまあだった。イカのフライのようなビミョーな感じはなくて、すき焼きらしい味がする。しばらくして女将がやってきた。腰をかがめ、人の顔をのぞき込むようにこう言う。
「大丈夫でした?」

そういう聞き方ってありますかいな。
(つづく)

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【レースな世界紀行2004】その6の1 [レースな世界紀行 2004]

最後にアメリカ行ったのいつだったっけなぁ、という状況ですが、この年は結構行っていたのですね。「その10」ではF1でも行きますし……。

その6の1
IRL第2戦フェニックス
アメリカ・フェニックス

初めての地に赴くときは、服装に注意が必要である。アメリカはこれまでにも何度か訪れたことがあるが、アリゾナ州フェニックスに行くのは初めてだ。インターネットや雑誌などで調べたところ、3月から4月の気温は最高が25℃前後。砂漠ゆえに朝晩は冷え込み、15度前後にまで落ち込むという。

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よって半袖を基本に上着を1枚、雨が降ったらいけないのでフードのついたジャケットを1枚スーツケースに詰め込んだ。フェニックス行きの経験が豊富な人に聞いたら「雨具はまず必要ない」と言われたので、折りたたみ傘は省略した。

省略したといえば、荷物を収める入れ物も今回は大幅に省略した。普段は10年以上使い込んだサ大型のスーツケースを携えるのだが、今回は昨年購入した機内持ち込みサイズのトロリーケースにした。理由は乗り継ぎ便にある。本来ならユナイテッド航空便で成田〜ロサンゼルス、ロサンゼルス〜フェニックスで接続するのだが、うまくいかず、ロサンゼルス〜フェニックスはサウスウエスト航空というローカル便を利用することになったからである。

乗り継ぎ時間は2時間。一度でもアメリカに行ったことのある人なら苦い経験をお持ちだろうが、アメリカでは入国審査を通過するのにとーっても長い時間がかかる。荷物をチェックインした場合はバゲッジ・クレイムでピックアップ。他の航空便を利用する場合はターミナル移動をしてチェックインカウンターに並ばなければならない。と、かように煩雑なので、時間短縮のため荷物はチェックインせず、手荷物にして機内に持ち込むことにしたのだった。

この作戦は半ば成功。半ば失敗したのは、機内に持ち込むはずだった荷物を、結局は預けることになったこと。乗り継ぎ便のチェックインが出発時間ぎりぎりになったため、ほとんどゲートが閉じる間際に搭乗する羽目になったからである。
搭乗口でボーディングパスを係の人に手渡したら、
「もう荷物を載せるスペースはないから、チェックインにするね」
 と言うか言わないうちに、タグをトロリーケースに巻き付けた。

すべての便がそうかどうか知らないが、サウスウエスト便は自由席である。チェックインを速く済ませた者が「A」の印のついたボーディングパスをもらい、Aがいっぱいになったら今度はB、最後にCとなる。A〜B〜Cの順に呼び出されて機内へ。頭上の荷物入れはA、B組の乗客ですでにいっぱい。C組の僕は荷物は割を食ったのである。

機内後部に空席を見つけて座り、外を眺めていたら乗り口でしばしの別れを告げたトロリーケースが運搬車に乗って貨物室に運ばれるところだった。ドライバーがカーブを切った途端に荷物がひとつ転がり落ちた。落ちてしばらく、風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。幸い僕のじゃなかったけれど。

服装選びは半ば的中した。半ば外れたのは予想外に暑かったこと。日中の気温はこっちの表示で90°F、なじみのある摂氏にして32℃を超えている。夜になっても上着が必要なほどには寒くならないのが誤算といえば誤算だった。もっと誤算だったのは靴底が左右ともにぱっくり裂けて、中底が露出したことである。履きにくくはないがなんとなく落ち着かないので、アウトレットモールに行って似たような靴を買った。

夜はホテル近くのコンビニで買ったシェラ・ネバダ・ペール・エールを1本開けたのち、就寝。レンタカー屋でもらった地図に、フェニックスのダウンタウンにフランク・ロイド・ライト作の建築物があると記してあった。行きたい気持ちは山々で、どれくらい山々かというと、谷底から見上げたグランド・キャニオンほどもあったが、涙を飲んで諦めることにした。

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「フェニックス」と聞いて思い浮かべたのは「不死鳥」である。不死鳥はキリスト教の教えでは「復活」を意味するらしい。どうしてこんなことを知っているかと言えば、以前、取材で大丸心斎橋店を訪れたことがあるからだ。アメリカ人宣教師ヴォーリズが1922年に設計した大丸心斎橋店の心斎橋筋側のエントランスには、フェニックスのレリーフが鎮座している。大丸は復活の象徴であるフェニックスをアメリカの業者に発注した。結果、届いたのが現在も見事な姿を見せているレリーフである。

だが、このレリーフ、不死鳥というより孔雀に見える。孔雀、すなわちピーコックはキリスト教で「永遠」を意味するので、縁起上は問題ない。「店が永遠に繁栄することを祈って……」という思いを込めたことにすればいいからだ。フェニックスならぬピーコックのレリーフがはめ込まれて以来、ピーコックが大丸のシンボルになった──。

というような興味深いエピソードを耳にしたせいか、フェニックスと聞くとピーコック様のレリーフを思い浮かべてしまうのである。本場(?)に行けば似たようなモチーフにお目に掛かれるかも、と淡い期待を抱いてフェニックスに向かったのだが、空港をはじめ、街のあちこちでそれらしきモチーフに出会った。ちょっとうれしい。本場のフェニックスは、孔雀よりは不死鳥らしい格好をしている(もちろん、想像上の鳥なんで決まった形はないんですけどね。だから、不死鳥を発注して孔雀が来ちゃうなんてドラマが生まれたワケで……)。

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乾いた砂の大地にフリーウェイが真っ直ぐ伸びている。ずっと西に向かえばロサンゼルスに着く国道10号線だ。これを「115番通り」で降りて南に向かい、5分もドライブすると砂の大地に突然オアシス、ならぬコンクリートと鉄の巨大な構造物が出現する。フェニックス・インターナショナル・レースウェイ(PIR)である。
(つづく)

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